2026年6月12日金曜日

ビートルズ


図:日本ビクターの1968年ステレオのそれ風イメージ(ChatGPT + Nano Banana 2)


NHKのうたコンが,来日から60年(1966.6.30-7.2)なのか,6月9日はロックの日ということで,ザ・ビートルズ特集をやっている。ビートルズの記憶は断片的に書いてきたが,すこしつなげてみよう。

中学2年のころ,家にある半分壊れかけていたトランジスタラジオをもらって,ベッドサイドで聞くようになった。当時流行っていてまず耳にしたのは,日本のフォークソングの周辺というか,大ヒットしていたザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ(1967.12)」「悲しくてやりきれない(1968.3)」,ザ・ダーツの「ケメ子の歌(1968.2)」,高石ともやの「受験生ブルース(1968.2)」などである。そこに,2年5組の同級生の小林博人君がザ・ビートルズのファンで,あれやこれがいいというのを聞いて感化されることになったのは以前書いた。

ビートルズを聞いて,最初に買ってもらったビートルズの370円のドーナツ盤は「ハロー・グッドバイ(1967.12)」だった。B面はアイ・アム・ザ・ウォルラス。その前の「愛こそはすべて(1967.8)」は,全世界宇宙中継で5月にテレビから流れていた。しかし,1966年のビートルズ訪日のころは,全く興味も関心もなかった。

次に買った?かもしれないのが,「レディ・マドンナ(1968.4)」で,小林君がビッグニュースだといって教えてくれたもの。いや,その前に,「マジカル・ミステリー・ツアー(1967.12)」の2枚組EP盤があった。同名のテレビ映画があって,これもテレビでみることができた。フール・オン・ザ・ヒルがいいとめずらしく父親がいった。

そうそう,これが実現したのは,ずいぶん旧くなっていた家のステレオを買い替えることになったからだ。なお,当時はオーディオシステムをステレオとよんでいた。写真のような家具調が主流で,まだ,コンポとも呼ばれていなかった。ヘッドフォンも珍しいものだった。そのたいそうなステレオは応接間のピアノの横に鎮座した。高度成長期まっただ中である。

中学3年に入って,小林君とは別のクラスになったが,ビー・ジーズファンの山田雄治君やウォーカー・ブラザースファンの出雲崎栄一君と同じ3年6組になったので,いよいよ本格的にポピュラーミュージック(洋楽)にはまっていった。他のミュージシャンもいろいろ興味深くて,自分の関心の中のビートルズのウェイトは小さくなっていく。

さて,わずか半年もなかったが,ビートルズの次の新曲がなかなかでない,まだかまだかと首を長くして待っていたころだ。バック・イン・ザ・USSRやレボリューションが次の新曲なのかとされたが,7分を越える「ヘイ・ジュード(1968.9)」が出て,これが次の新曲だということになんとなく確定することになった。あわてて片町の山畜に走った。たぶん,このころが自分のビートルズのピークだった。

その後,ゲット・バック,レット・イット・ビー,ホワイトアルバムなどが登場するのだけれど,ちょっと手が伸びなかった。50年後に,記憶をたどるようにCD2枚組のビートルズベストアルバムをようやく買った。

(付)マジカル・ミステリー・ツアー EP盤の収録曲
  A1「マジカル・ミステリー・ツアー」
  A2「ユア・マザー・シュッド・ノウ」
  B1「アイ・アム・ザ・ウォルラス」
  C1「フール・オン・ザ・ヒル」
  C2「フライング」
  D1「ブルー・ジェイ・ウェイ」


0 件のコメント:

コメントを投稿