2023年3月20日月曜日

大江健三郎

3月3日に大江健三郎が亡くなっていたというニュース

大江健三郎(1935-2023)を読むようになったのは大学に入ってからだった。高校時代になぜか父親が大江の本を買っていた。そのころ出版されたものだから,「万延元年のフットボール」か「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」だったかはっきり憶えていないが,興味は引かれなかった。高校の図書館にあった倉橋由美子(1935-2005)の「スミヤキストQの冒険」のほうがおもしろそうだった

大江の初期の短編は別として,中期の長編のリアリズムから離れた世界の話は,SFのつもりで読んでいても単純な寓話に落とし込めない。それでも次の作品こそはと期待をかけてずるずると読み続けたが,今一つピンと来ないままだった。読解力と集中力が足りなかった。

安部公房(1924-1993)や高橋和巳(1931-1971)の方が自分には腑に落ちた。「治療塔」はSFとして売り出された。立ち位置が似ている平野啓一郎(1975-)の「ドーン」もそうだっだけれど,この手の作品はSF読者からみるとたいてい物足りない結果で終る。

大江健三郎は,作品の舞台にもなる四国の山奥,現在の内子町の出身だ。内子高等学校でいじめにあって松山東高等学校に転校したとあるが,NHKで未発表の文集が発見されたというニュースに登場していたのは内子高等学校の校長だった。

豊竹嶋大夫(8代目,1932-2020)が愛媛県の出身なので,内子座文楽公演にはほぼ参加していた。2010年8月の第14回公演「鶊山姫捨松 中将姫雪責の段」を,家人と夜行バスに乗って四国まで渡って聞いた。嶋太夫の熱演がなつかしい。


写真:手元にある大江健三郎の文庫本

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