2019年2月19日火曜日

大阪大学大型計算機センター(3)

大阪大学大型計算機センター(2)の続き)

我々がTSSによる大型計算機センターの利用をはじめた1980年前後は,ちょうどマイコン=パーソナルコンピュータが登場して普及が始まろうとしている時期と重なっている。

阪大豊中地区のデータステーションに設置されていたTSSの端末は,最初の内はドットプリンターにキーボードがついたものであった(ディスプレイはまだない)。そのうちバドミントンプリンタとよばれる,少しだけしゃれた端末も増えたが速度は速くはなかった。中には,記号が並んだAPLキーボードの端末もあったが,使ってはいない。


写真:TSS端末 Silent-700 (Wikipediaより) 。これではないが,こんな雰囲気のもの

プリンタ型のTSS端末はテキサス・インスツルメンツのものが有名で,それかどうかはわからないが,1200bpsの高速端末が研究室にも導入された。まもなく,アンリツのグリーンCRTディスプレイによるスクリーン・エディタ端末も入ったような気がする。

そうこうしているうちに,日本電気(NEC)からPC-8001,PC-8801,PC-9801とパーソナルコンピュータのシリーズが発売され,BASICや機械語で動く自作ターミナルのブームがやってくる。大型計算機センターニュースにはこうした記事が頻繁に登場していた。専用の端末に比べれば,ずっと安い価格で,かつそれなりに高機能のTSS端末が誰にでも仕える時代になったのだ。大坪先生もアセンブリ言語を駆使して,ターミナルソフトを開発されており,阪大大型計算機センターニュースの記事(1)(2)になっている。

大阪教育大学のデータステーションにも,阪大大型計算機センターの専用TSS端末が4台入り,これに加えて,PC8801が端末として導入された。N88BASICの端末エミュレータプログラムがあちこちで公開されていたので,自分でもこれを参考に適当にカスタマイズして使っていた。

P. S. 大阪教育大学のデータステーションの教務員の加藤清さん(垣本徹さんの前任者)が作ったN88BASICのプログラムを参考にしていたのではないか。これも,阪大大型計算機センターの藤井博さんの記事(1982)がオリジナルかもしれない。加藤さんはその後,岐阜経済大学から大阪工業大学に移られたようだ。その後一度だけどこかでお会いした記憶がある。


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