2019年2月20日水曜日

RCNPの計算機

原子核理論を専門としていたので,1976年に大学院に入ると電子計算機を使って研究を進めることになる。当時は物理分野で電子計算機を縦横無尽に使うのは,X線結晶解析と原子核物理というのが相場だった。1950年代のサイエンスの状況をイメージすると,DNAと核エネルギーなので,そんなことになるのだろう。

さて,大阪大学の全国共同利用施設のひとつとして1971年に発足した核物理研究センター (RCNP)は,AVFサイクロトロンを備えた原子核の実験施設であり,阪大の吹田地区の北端に位置していた。東大の原子核研究所や理化学研究所と並び,西の原子核実験物理の拠点として位置づけられていた。歴史的経緯を考えると納得できるものではある。

核物理センターを正面からみて左手が研究棟でスタッフの研究室,会議室や事務室が入っており,右手が実験棟(サイクロトロン棟)になっていた。実験棟の2Fに計算機室やデバッグ室が設けられていた。当時はTSSではなく,オープンバッチ処理なので,計算するためには豊中地区からここまで足を運ばなければならない。

設置されていたのは,東芝の中型の汎用計算機(TOSBAC 5600)であった。実験グループのデータ解析を行うのが主目的であるが,共同利用を進めるために,原子核理論グループにもマシンタイムが無料で開放されていた。理論屋では,基礎工学部数理教室の上田保先生(核力,少数多体系),澤田達郎先生(少数多体系)や,村岡グループの養老憲二さん(殻模型),松岡和夫さん(核反応),そして森田研の我々がよく出入りしていた。実験グループだと当時RCNPの助手だった藤原守さんくらいしか記憶にない。

キーパンチャーはIBMのもので,デバッグ室の棚にカードデックの箱を置いていた。冷房の効いた主機室に入ると空調の音がうるさく,自分のフォートランカードの束にコントロールカードを重ねて,カードリーダーに読み込ませる。しばらく待って結果はラインプリンタに出力される。うるさかったのは空調のせいだけではなかったかもしれない。ときどき,ラインプリンタの紙送りが詰まると自分で紙をセットし直す。

豊中と吹田の往復にはバスの学内便を使うことが多かったが,天気が良ければ,原付で中央環状線を疾走したりした。まだ,ヘルメットが義務化されていない時代である。制限速度30kmのところを50km近く出して白バイに捕まったことが一度ある。よく事故らずに無事に過ごせたものだと思う。

1997年1月からは,阪大大型計算機センターと阪大レーザー核融合研究センターと核物理研究センターの大型計算機は統合され,ベクトル型パラレル計算機 SX-4 として共同運用されることになり,現在のSX-ACEに至っている。

写真:RCNP全景 (RCNP写真ギャラリーより)

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