当時,25歳の博士課程学生だったので,もう深夜放送は卒業している年代だった。が,ラジオから聞こえてくるウダ話に思わず引き込まれてしまった。甲斐よしひろ事件は直接はきいていないので,もしかすると聞き始めたのはもう少し後かも知れない。
ぬかる民にはなれなかったが,信貴山のぬかるみツアーや新世界のパニックなどは憶えている。スポンサー無しで始まったはずだけれど,途中からお好み焼きの千房が協賛して,店舗にはぬかるみノートもあったはずだ。1981年に結婚することにはもう聞かなくなってしまった。
その後は,テレビの「突然ガバチョ」とか「9年9組つるべ学級」などをだらだら見ていた。鶴瓶の家族に乾杯も最初は毎週見ていたのだけれど,最近は見ないようにしている。そろそろ潮時では。たぶん,視聴者=素人との相互作用では,コント55号の萩本欽一を最初の革命だとすれば,笑福亭鶴瓶が第二の革命だったような気がする。
図:Gemini(Imagen)によるぬかるみの世界(人物と文字を削除)
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