2024年6月22日土曜日

内山永久寺

梅雨入りが遅れていた水無月。このあたりの田植えのほうは順調に進んでいる。

天理市役所に用事があるというので,そこから足を伸ばし,石上神宮に車を止めて昼の散歩。石上神宮の雞たちはあいかわらず元気だ。本殿に参拝して休憩した後,山の辺の道を南に向かう。社地内を抜けると道標があって,石上神宮0.3km,内山永久寺跡0.4kmとある。

たらたらと歩いていくと,内山永久寺跡の池に到着する。池を回ってさらに進むと,少し小高くて四阿のあるポケットパークに至る。おにぎりを食べて一休みしてから再び石上神宮にもどった。googleマップでは,この先の山の辺の道が出てこない(Appleマップにはある)。


内山永久寺は,1114年(永久二年)に鳥羽天皇の勅願によって創建された。寺の名前はその年号に由来し,五鈷杵の形の寺域の中に内山があったことから内山永久寺と呼ばれた。総院号は金剛乗院で,阿弥陀如来を安置し。真言宗(古義派)に属した。

藤原時代後期以降,寺は多くの堂塔を有し,鎌倉時代や室町時代には非常に繁栄した。1595年(文禄四年)には豊臣秀吉から971石の寺領を与えられ,法隆寺や金剛峰寺に匹敵する大寺となった。全盛期には五町四方の境内に五十余坊の伽藍を擁した。上街道の浄国寺から現在の天理中をとおり内山永久寺の西門まで2kmの石畳の道があり,江戸時代末期まで参詣者が絶えなかった。

明治維新の廃仏毀釈により,貴重な仏像や建物は散逸し,堂坊も取り壊され本堂池だけが残る。現在は山の辺の道に沿う休憩場所として利用されている。もし内山永久寺が今も残っていたら天理の様子もだいぶ変わっていただろうに。




写真:内山永久寺の古絵図@内山永久寺跡ポケットパーク(2024.6.20撮影)


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