2024年2月8日木曜日

理科クラブと算数クラブ

中国の小学生の数学からの続き

1964年,泉野小学校では,5年生になるとクラブ活動が始まった。モーターを使って自動車をつくる工作クラブもおもしろそうだったが,理科クラブのほうに入った。初回は担当の先生がこどもの名前を確認していくのだけれど,腰切と板書されて話がなかなか遠かった。上級生の活動発表では,水酸化ナトリウム水溶液で煮出した木の葉から葉脈標本を作るというのが印象的だった。

ともだちと数人のグループで何をテーマにしようかと相談した。その結果,ビーカーに入れた食塩水の濃度をかえたものをいくつか用意して,おたまじゃくしがどこまで大丈夫かを確かめようというとんでもない実験をすることになった。このあたり,先生の指導はほとんどいきとどいていない。結局食塩水の濃度計算だけ上達することになった。おたまじゃくしは結構の濃度まで耐えていたかもしれない。

さて,6年生になると学年のクラス数がこれまでの3組から4組に増えた。そこまで児童の数は増えていなかったはずなのだがどうしてだろう。5年2組の南毅先生(社会)から,6年4組の前多光子先生(理科)に担任は変わった。隣の6年3組には中薮先生(算数)が新しく着任した。どうやらかなり厳しく怖い先生だという噂がすぐに伝わってきた。

ある日,その中薮先生が新しく算数クラブを作ることになったというアナウンスがあった。思わずハイハイハイ,そのクラブに入りますと大きな声で訴えた。算数クラブには10人あまりのこどもたちが集まっただろうか。毎週一回のクラブの時間はとても刺激的で楽しかった。

ただ,覚えているのは,一筆書き三角数と四角数,図形の面積のパラドックスくらいだ。一筆書きでは,奇数点が0個か2個のときだけ可能だということを学んだ。三角数の規則性について説明があった後で,四角数はどうなるだろうかという設問に,わかったと思って挙手して答えたけれど,どうもうまくことばで説明することができなかった。中薮先生は,算数クラブではたいへんやさしく指導してくれた。


図:三角数と四角数(イミダスからの引用)

(注)大杉君は,中薮先生のクラスだったが,6年3組の算数の時間には,台形の対角線を結んでできた左右側の三角形の面積が等しいことを説明させるという授業が展開されていたことを教えてくれた。

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