2019年2月22日金曜日

NeXTの話

1985年にアップルから追いやられたスティーブ・ジョブズが立ち上げたのが,NeXTである。1990年の6月にMITで,素粒子と原子核(の中間領域)の国際会議PANIC XIIが開催された。森田正人先生に連れられて,一年先輩の佐藤透さんといっしょに,ワシントン経由でボストンに着いた。

会場のMITでは,コンピュータルームが参加者のオープン利用に供されていた。そこにあったのが,初代のNeXT Cubeであった。1990年の3月に天王寺分校のデータステーションにS4/330が導入されて,ワークステーションにはなじんでおり,NeXTの感触を確かめることができた。Mathematicaも使えてこれはすごいということで,翌1991年に,大阪教育大学物理1研の予算を工面してもらって,NeXT Station(CPU 68040 25Hz, 主記憶 8MB, ディスク120MB?)を1台購入することができた。天王寺分校は移転を控えてバタバタしていたので,そのどさくさである。

写真:NeXTstation(Wikipediaより)

天王寺分校のデータステーションでは,1990年にサンのワークステーションS/4-330を導入すると同時に室内にはイーサネット(10BASE5 イエローケーブル)を張って室内の端末等と接続していた。垣本さんと相談して,学内ネットワークの練習のためにその一部を延長して,同じ2階で2-30m離れた私の研究室までシン・イーサネット(10BASE2)の同軸ケーブルを引き回した(ケーブルは日本橋で自費で調達し,コネクタは垣本さんにもらったのだった)。彼は技術教育専攻の出身で,ハンダ付けのプロだったので,コネクタ部分はお願いして作ってもらった。

これにより,晴れて(ヤミか?),研究室のNeXT Stationはインターネットにつながることになった。次の年の1992年にはデータステーションは情報処理センターとして教養学科とともに柏原キャンパスに移転し,引き続いて,我々教員養成課程も1993年から新キャンパスでの生活が始まった(柏原キャンパスでは,各研究室への情報コンセントを整備していた)。

若くして亡くなられた山口英(阪大基礎工情報科学)さんが,1990年から1991年にかけて情報処理教育センター(豊中)の助手をされていた。そのとき,阪大の情報教育用のシステムとしてNeXT stationを400台導入するというので,豊中地区に行ったついでに旧豊中データステーションに立ち寄り,資料をもらうことができた。自分の記憶の中では,気軽に資料をくれた当時の山口さんはヒゲを生やしていたが,すずきひろのぶ氏と混線しているのかもしれない。

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