音だけが聞こえる真っ暗な画面が延々といつまでも続くところから始まったので,若干不安になった。明るくなって主人公のルドルフ・ヘスの家族が池にピクニックに行くシーンにホッとする。対象への距離が遠めで正対した構図が多用され,カメラとともに状況を醒めた眼で見ることになる。
アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の所長だったルドルフ・ヘス(Rudolf Franz Ferdinand Höß,1901-1947)の一家の収容所の隣にある家での生活が大きな事件もなく淡々と描かれていく。その背景には,強制収容所で殺されていくユダヤ人が存在することのシグナルを示すエビソードがふんだんに折り込まれ,ヘスも妻も家政婦たちもそれには気づいているわけだ。完全な無関心ではない。
ヘスはベルリンに転属になるが,妻はその快適な環境から離れることを強く拒否し,そのまま住み続ける。映画の最終盤に,現在のアウシュビッツ・ビルケナウ博物館の朝の清掃のシーンが挿入され,それが映画の中で唯一強制収容所の内部が映し出される場面となっている。
強制収容所 ⊂ 関心領域の世界 ⊂ 関心領域を見ている自分たちの関心領域の世界,という入れ子構造の中で,自分たちにもまた見えていないもの,薄々見えていながら見えないふりをしているものが山のようにあるわけで・・・。そのうえ,見えたつもりになったとしてもそれがフェイクの罠だったりする。
図:アウシュビッツ=ビルケナウ Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ強制収容所の配置([2]から引用)
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