2024年8月25日日曜日

夫婦別氏

学士院からの続き

津田大介がtwitter(X)で(差別の温床のXを持続させる方向はなるべくやめてほしいが・・・),日本評論社法律編集部の以下のツイートを引用していた。
今週の #虎に翼 小ネタ🐯
寅子のモデル・三淵嘉子が、航一のモデル・乾太郎と再婚したのは1956(昭和31)年のことでした。当時、夫婦同氏はどう捉えられていたのでしょうか。
戦後民法改正で臨時法制調査会委員も務めた民法学者・中川善之助の著書『法学』に、婚姻に伴う改姓に関する記述がありました。
中川善之助先生は,金沢一中の先輩である。金沢大学の学長をされていたときに,金沢泉丘高校で生徒向けの講話をされたことがある。そこで述べられた普遍的な真理「私がこれからする話は,将来きっと忘れてしまうと思うけれど」の部分だけは憶えている。もちろん本論はきれいに消去されている。これに匹敵する自分の人生の真理は,子供のときに読んだマンガの一休さんが,茶わんを壊して池の鯉を食べてしまい,「形あるものは必ず壊れる,命あるものは必ず死ぬ」だけだ。

日本評論社の法学(中川善之助)から引用された文書をClaude 3.5 Sonnet で文字起ししてみると,精度は50%ほどしかなかったが,自力で補完した。

あるいはまた,氏すなわち苗字についても興味ある変化が認められる。旧法では,妻は婚姻によって夫の家,すなわち戸籍に入るとされ,妻は当然に夫の氏に改称させられた。夫が妻の氏に改める場合は,婿養子か入夫婚姻の場合だけであった。

 しかし,こうした妻が夫の氏に改称するという規範は,むしろ西洋的ないしキリスト教的のものであり,東洋の妻は,決して夫の氏を名乗らず,婚姻しても,生来の氏を称したものである。それは,氏が血統を表す称号である以上,結婚によって血統が改まるはずがないことの当然の結果でもあった。ところが西洋文明の流入につれて,夫婦は一つの氏を称すべきものであり,その一つの氏は,夫の氏でなければならぬという考えが,漫然と浸みこんで来た。同時にまた,氏そのものも,血統を示すというより,家族共同体の屋号のようなものに変わって来たため,人々はいつのまにか,夫婦の氏は,夫の氏一本にならねばならぬと考えるようになった。旧法は正にこの思想の上に規範を立てている。

 新法は,憲法のいう両性平等の原則にしばられて,夫婦の氏は,夫の氏でも妻の氏でもよく,そのどちらかに選択決定して,婚姻の際に届け出ろということにした。

 いかにも,この規定は両性に平等である。しかし,長い父系尊重思想に慣れた人々の常識では,夫婦の氏は当然夫の氏に統一すべきものということになる。したがって実際の結果は,旧法のときと,少しも変わらない。男はもちろん,女自身までもが,結婚後は夫の氏を称するのを当然と思い,また願望さえしているのである。

 私は,夫婦だからといって,氏を一つにしなければならぬ必要は少しもなく,夫は夫の氏を,妻は妻の氏を称すること,アジア古来の慣行通りであっていいと思うむしろそれこそ個人の尊厳の上にたつ婚姻共同生活の呼称上の在り方だとも思う。しかし今日はまだ,日本の男も女も,一方には西洋人が古くからのキリスト教的伝統に従って夫婦同氏の原則を守っているに安心し,他方では,自分たちの胸底に残る家父長制意識に支えられて,夫婦別氏ということを考えないようである。人々に法的確信が浦いて来ない間は,法規範も生れて来ないし,生れても育たないのだから,その意味で,新法の規定を非難する積りは,私にないが,近い将来には問題となるべきことだと思う。(中川善之助,法学から引用)

というわけで,自民党等の親米宗教右派やその取り巻きのネトウヨがSNSにばらまいている「日本古来の」という修飾語で,夫婦別氏制度を否定する言説は,間違っているわけだ。が,そんなことを指摘されてもびくともしないのは,天皇制=象徴的家父長制を錦の御旗として振り回しているということからくるのかもしれない。それが日本社会の女性差別につながっているのだけれど,自分の身体にもその空気は染みついているので困ったものである。

P. S. 正式には「選択的夫婦別氏(べつうじ)制度」である。

[2]氏姓制度(Wikipedia)

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