2024年6月28日金曜日

黒田清輝

NHKアーカイブの日曜美術館(1981)で,当時71歳の白洲正子(1910-1998)が黒田清輝(1866-1924)について語っている。

白洲正子は,華族で海軍大臣だった樺山資紀(1837-1922)の孫,実業家,貴族院議員の樺山愛輔(1865-1953)の次女である。その樺山愛輔の従兄弟が黒田清輝だった。このため,樺山家の食堂と客間には黒田清輝の「読書」と「湖畔」がそれぞれ掛けられていた。黒田清輝の没後,遺産管理をまかされた樺山愛輔によって黒田記念館(1928-)に収蔵された。


写真:教科書に載っていた「読書」(黒田記念館 黒田清輝油彩画 光学調査から引用)

黒田清輝と樺山愛輔が従兄弟であるというのは少し複雑である。樺山資紀も黒田清輝も養子になっているからだ。昔は家督相続のシステムだったので,このような親戚関係の中での養子関係が普通にある。自分の母方の祖父母だって,両方とも養子だった。

さて,樺山資紀の実家の橋口家が黒田清輝との関係をつないでいる。Wikipediaで調べていると,樺山資紀は橋口家ではなく真木家から養子に出されたという誤った記述になっていたので混乱した。中国語版では正しく橋口家と書かれているのにである。これだから,日本語版のWikipediaは信用できない。小人さんになって早速修正しておいた。


図:樺山愛輔と黒田清輝が従兄弟であることを整理してみた

なお,黒田清輝と樺山愛輔の関係について,Chat GPT-4o,Gemini Pro 1.5,Claude 3.5 Sonnet,Perplexity (PROでないほう),Command R+ に尋ねたところ,インターネットを検索できて根拠URLを付加してくれるPerplexityのみがほぼ正しい答えを与えている。あとはちょっとグダグダだった。Perplexityは複数のウェブサイトを検索しながらそれらの結果を組み合わせて回答を与えてくれる。
Q(koshix):
樺山愛輔と黒田清輝の関係は?

A(Perplexity):
樺山愛輔と黒田清輝は親密な関係にあり、以下のような繋がりがありました:
1.樺山愛輔は黒田清輝の従兄弟でした。
2.両者の家は近く、深い交友関係にありました。
3.樺山家の屋敷には、黒田清輝の作品「湖畔」と「読書」が飾られていました。「湖畔」は客間に、「読書」は食堂に展示されていました。
4.樺山愛輔は黒田清輝の遺言執行人を務めました。黒田が遺産の一部を美術奨励事業に提供することを遺言したため、樺山は1928年に東京・上野公園内に黒田記念館(美術の基礎研究機関)を設立しました。
5.樺山愛輔は黒田清輝を高く評価していたようです。ある会合で「黒田はもっと大人物じゃったよ」と発言し、一同が賛成したという記録が残っています。

これらの事実から、樺山愛輔と黒田清輝は単なる親戚関係を超えて、芸術的な面でも深い繋がりを持ち、互いを尊重し合う関係にあったことがわかります。樺山は黒田の芸術的遺産を守り、その価値を後世に伝える重要な役割を果たしたと言えるでしょう。

[1]黒田清輝の生涯と芸術(田中淳)

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