2024年6月15日土曜日

ルート66

NHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」シリーズで放送された「ルート66:アメリカの夢と絶望を運んだ道」は,アメリカ社会の変遷を象徴し,大陸横断でシカゴとサンタモニカを結ぶ国道66号線(1926-1985)に焦点を当てたものである。

ルート66」(1960-1964)と聞くとテレビ番組を思い浮かべるような気がする。たぶん自分はその番組を見た記憶がない。小学校3年のころ半年NHKで放映していたはずなのに。それどころか,「サンセット77」(1958-1964,これも微かに記憶がある程度)と混線する始末だ。実際の「ルート66」は若者二人のロードムービーだそうだ。

映像の世紀は,1920年代のアメリカにおけるモータリゼーションの発展から始まる。1926年に大陸横断道路としてルート66が開通し,その記念として行われたマラソン大会が紹介される。この道が「夢を運んだ」とされる一方で,「絶望を運んだ」とはどのような意味なのか。

1933年,ルート66沿いのジョプリンで発生したボニーとクライドの事件が次に取り上げられる。アーサー・ペン(1922-2010)の映画「俺達に明日はない(1967)」では,フェイ・ダナウェイウォーレン・ビーティがこの二人を演じている。この映画の前に,「ボニーとクライドへの報い(1934)」という再現記録映画が紹介されたが,ネット上でそれがちょっと見当たらない。

1930年代に中西部のグレート・プレーンズを襲い続けた砂嵐,ダストボウルによって数十万人の人々が故郷を追われ,カリフォルニアに新たな生活を求めて移動する。しかし,そこには仕事がなく,彼らの絶望を運んだ道がまさにルート66であった。ジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」がこの悲劇を描き,ジョン・フォード監督,ヘンリー・フォンダ主演で映画化されている。

第二次世界大戦中,カリフォルニアには軍需産業が立ち上がり,ダストボウル移民に仕事を提供する。その一方,日系人は収容所に送られることになる。戦後、ルート66沿いには新しいビジネスが立ち上がり,マクドナルドもその一つである。最初の工場製造式セルフサービスのハンバーガー店が1940年にスタートし,戦後に普及拡大した。

番組では,ルート66沿いのラスベガスで,100km離れたネバダ核実験場での原子爆弾実験を見物するアトミックパーティの様子も紹介された。さらに,ルート66にある日暮れの町(サンダウンタウン)についても触れられた。有色人種が日没までに町を出るよう指示する標識が立つ白人だけの地区である。公民権法が制定されるまで,黒人旅行者は「黒人ドライバーのためのグリーン・ブック」を頼りにルート66を旅する。これが映画「グリーンブック(2018)」の背景である。

テレビ番組のルート66は若者たちを旅に駆り立てた。1960年代末にルート66は,カリフォルニアに向かうヒッピーの道となる。映画「イージー・ライダー(1969)」ではカリフォルニアからニューオリンズを目指すヒッピー的な二人が描かれている。ピーター・フォンダとデニス・ホッパーが主演し、彼らはボニーとクライドのように最後には射殺される。

番組の最後には,現在のアメリカのワーキャンパーたちが紹介された。仕事や家を失い,日々車上生活を余儀なくされる人々の姿が描かれる。彼らはドナルド・トランプを支持するルート66沿いの貧しい人々の一部である。ルート66は現在,州間高速道路に取って代わられたが,歴史遺産として甦ろうとしている。



写真:近所の駐車場でみかけたお洒落なルート66

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