2023年6月5日月曜日

シンセティック・メディア(2)

 シンセティック・メディア(1)からの続き

シンセティック・メディアが普及すると,世界の様々な事象の真偽が不確実になる。とはいうものの,今だって状況はそれほどかわらないかもしれない。(1) 商業的なマスコミュニケーションの登場(新聞?雑誌?テレビ?)により,大衆迎合的な偏向が生じていること。(2) インターネットの登場(SNS?)により,情報発信の閾が下がるとともに,政治的な宣伝工作等も要因とするネトウヨ的言説の拡散がエコーチェンバーで増幅されること。などなど。

人は,家庭や周囲の人々との対話,学校や職場での組織における活動,マスメディア等を通じた報道や文化の情報伝達によって,世界認識の枠組みが形成される。そのうち実体験や対面のコミュニケーションではない,視聴覚メディアを媒介する寄与分はどの程度だと推定されるのだろうか。この視聴覚メディアの媒介する部分を,シンセティック・メディアが覆いはじめることになる。

その視聴覚メディアについて,大学に入ってからの自分で考えてみる。1972年から1997年までは,新聞・テレビ・ラジオ・雑誌・本が情報源だった。1997年以降はメーリングリスト・ネットニュース(fj)・ウェブから始まり今では,ブログ・ネット記事・YouTubeが主要な情報源になっている。紙でできた本や雑誌はほとんど買わなくなってしまった。2022年以降は,それらがさらに,AIに媒介されるテキスト,シンセティック・メディアに媒介される情報に置き換わることになる。

そのような環境の中で育つとき,ものごとの真偽を判定する能力を獲得することが可能なのだろうか。これは,結局フランシス・ベーコンの4つのイドラの話にまで戻るということなのか。


図:人間を形成する情報はどこからくるのか

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