2023年2月12日日曜日

大泉サロン

冥王代からの続き

竹宮惠子と丸山茂徳が徳島大学時代に何の部活で接点があったのかを探していたところ,竹宮惠子の大泉サロン時代の話に引き込まれた。
大泉サロン(おおいずみサロン)は、かつて東京都練馬区南大泉に存在した借家で、漫画家の竹宮惠子萩尾望都が1970年から1972年にかけて2年間同居し交流の場となった際の呼び名である。「24年組」と呼ばれ、のちに日本の少女漫画界をリードした女性漫画家達が集った。(Wikipedia 大泉サロン)
藤子不二雄まんが道にでてくるトキワ荘のような話かと思うと,残念ながらそうではなかった。アマゾンの[3]の書評で御伽草子が「芸術家の決闘,あるいは,萩尾望都へのアンフェアな罵倒に対する逆襲」として,1万6千字費やしてしまうような物語だった。

一方,Wikipediaには次の記載がある。
「大泉サロン」には、山田ミネコ(1949年生)、ささやななえこ(1950年生)、伊東愛子(1952年生)、佐藤史生(1952年生)、奈知未佐子(1951年生)、それに少女同人サークル「ラブリ」(石川県金沢市)の坂田靖子(1953年生)、花郁悠紀子(1954年生)、波津彬子(1959年生)、たらさわみち、城章子など、いわゆる24年組と呼ばれる世代を中心とする若手女性漫画家やアシスタントが集まった。
このうち,坂田靖子花郁悠紀子(開発公子),波津彬子(開発明子)は金沢市立野田中学校の同窓生である。坂田さんは,3年6組(山田清三先生)の同級で20期卒,開発姉妹は21期と26期だ。坂田さんは病気で1年遅れたために自分と同じ学年になっていたようだ。

彼女達がまんがを描いていたことは妹から聞いて知っていた。同人サークルに妹が誘われていたのかどうかはっきりしないのだが,同人誌のようなものをちらっと見せてもらった記憶がある。卒業アルバムには坂田康子とあったような気もするが,50周年の同窓会名簿は靖子で採録されていた。竹宮惠子のマンガは全く読んでいないのだが,萩尾望都は妹から借りて何冊も熟読したのだった。

[3]一度きりの大泉の話(萩尾望都)
[4]少年の名はジルベール(竹宮惠子)
[5]増山法恵(萩尾望都と竹宮惠子を大泉サロンで結ぶ)

P. S. 2023.3.22
妹に確認したところ,彼女が中学2年から3年のころに(1969-70),坂田さんの主催する同人誌ラヴリに参加して,実際に作品を作って投稿していたらしい。ちょうど同人ラブリが創設されてまもなくのころだ。手書き同人誌を湿式コピーしたものがあったのだが処分してしまったらしい。

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