2021年5月28日金曜日

アメリカ文化センター(1)

 社会教育センターからの続き

かつて本多町の社会教育センターの隣にあったのがアメリカ文化センターであり,いろいろ思い出があるが,まずはそれが何だったのかを調べてみる。

1952年,全国13都市に置かれたアメリカ文化センターは,SCAP図書館(CIE図書館)をその起源とする。敗戦後の日本で,連合軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)民間情報教育局(CIE)が,連合国軍による日本統治政策として,教育・宗教・芸術などの文化戦略を担当した。

その一つが,米国式のCIE図書館であり,札幌,函館,仙台,秋田,東京(日比谷・新宿),横浜新潟金沢,長野,静岡,名古屋京都大阪神戸,岡山,広島,高松,松山,北九州(小倉),福岡,長崎,熊本の23か所に設置した。日本国民の民主化や米国への理解,公共図書館の近代化を進める役割を果たした。

1952年4月のサンフランシスコ講和条約発効にともって,連合軍による日本占領は終結しCIE図書館は廃止された。上記23か所のうち13都市(太字)のCIE図書館は,米国国務省に移管され,1952年5月からアメリカ文化センター(American Cultural Center)となった。図書館機能に加えて,米国政府の広報活動の最先端を担う施設となり,映画会,展覧会,英会話教室,講演会,人事交流事業に重点が置かれることになる。

1967年以降,予算削減のため金沢を含む7つのセンターが閉鎖され,1972年時点では札幌,東京,名古屋,京都,大阪,福岡の6都市のみとなった。金沢では,1966年に社会教育センターが開設されていたので,アメリカ文化センターの施設などは,社会教育センターの分室(国際文化交流センター)という位置付けになった。

当時のアメリカ文化センターは,北陸海軍館の建物を使用しており,建物の正面にある玄関の上の壁一面に「AMERICAN CULTURAL CENTER アメリカ文化センター」と大きな英文字と日本文字が併記で貼られた目立つ建物だった。その後,1972年に改築されて石川県社会福祉会館となっている。


写真:アメリカ文化センター(花園村春秋から引用)

[1]アメリカ文化センターについて(レファレンス協同サービス)
[2]ホームステイに見られる観光文化ー金沢での1956-1958年を事例として(山口隆子)
[3]アメリカ文化センター設置のねらい(石原眞理)

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