2021年5月14日金曜日

城南公民館

 金沢の百年に,城南公民館の設置についての記事があった。1960年だから自分が小学校1年のときに寺町1丁目の銭湯桜湯と闕野(がけの)神社の間の筋を入ったところにできた。しかし,1977年には若草町に移転している。わずか17年のことだったのか。

城南公民館は,旧市民病院の跡地につくられたようだが,この病院については全く記憶がない。市史年表では以下のようになっている。なお,568坪がそのまま公民館になったとは思えない。こじんまりとした建物だった。横山別邸跡なので辻儀十郎さんの家の敷地になった部分も含まれていたのかもしれない。

・大正十五年・昭和元年(1926)3月30日:金沢市施療病院の敷地は野田寺町1丁目元横山章別邸跡(570坪)にきまった。市の買収価格は坪27円。 

・昭和二年(1927)5月19日市の施寮病院「金沢市民病院」の第1期工事が野田寺町1丁目旧横山別邸跡で着工された。敷地568坪、建坪291坪、収容人員60人。

・昭和三年(1928)4月1日低所得階級を対象にした市立金沢市民病院が、野田寺町1丁目に開院した。総工費4万5,000余円、被扶助階級と月収25円未満の単身者等は診察費無料となっている。

・昭和八年(1933)6月:野田寺町の市立金沢病院は一般市民に実費診療を実施して歓迎され、入院通院患者が激増、最近6ヵ月間の延べ受診人員は1万4,419人に達した。 

・昭和二十九年(1954)8月4日市は市民病院および同伝染病院が老朽化したので、30年度から伝染病院敷地に市立総合病院を建設する計画をきめ、準備として寺町通りから伝染病院に通ずる道路新設の測量を開始した。

・昭和三十四年(1959)8月12日昨年1月から長坂町に建設中のモデル総合病院、金沢市立病院の落成式がおこなわれた。(診療開始は17日)。新病院は現在市内に分散している市民病院、同付属病院、伝染病院を統合した施設となるもの。敷地1万2,019平方メートル、本館は地下1階、地上5階の延べ6,008平方メートル(このほか昨年完成した伝染病舎など1,310平方メートル)。総工費2億9,000万円。

・昭和三十五年(1960)1月10日十一屋、泉野両校下の公民総合センター「城南公民会館」が完成、落成式があげられた。十一屋公民館が中心となって野田寺町1丁目の旧市民病院の払下げ(421万円)を受け、改装設備費に150万をかけたもので、資金は簡易保険料の集金手数料の積み立てなどをあてた。館内には結婚式場、ホール等もある。

・昭和五十四年(1979)4月9日城南公民館(若草町)の開館式が行われた。(総事業費1億2,642万円余)

高校時代のクラブのコンパや卒業生を送る会は,公民館を借りて行うことが多かった。1970年3月の追い出しコンパは,城南公民館で開かれることになり,家が近所だったのでその手続きを任された記憶がある。公民館の使用料は格安だったので,お金のない高校生にはうってつけだった。2階に座敷があって,そこでおかしやジュースを持ち寄ってわいわいやっていた。

卒業生に宛てる色紙に何を書いてよいのかわからなくて困り果てていたとき,卒業する佐竹さん(金沢大医学部)が気楽にかけばいいよとアシストしてくれた。後は,陽気な森さん(上智大学)がいたのを覚えている。他の3年生はだれだったのだろうか。AFSの留学でアメリカから帰ってきた宮崎さん(国際基督教大学)もこのときだったかもしれない。しかし,自分が2年や3年のときのクラブの追い出しコンパの記憶はまったく欠落しているのであった。


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