2021年5月11日火曜日

寺町台100年

西村一朗さんの寺町の記憶からブラウズしていると,金沢の百年という市史年表にたどりついた。金沢市図書館のウェブサイトからリンクされている。そこから,100年前から50年前の出来事を抜粋してみた。市内電車の50年であった。

 加賀藩の時代に,一向宗からの防御のために(子どものときは一般に敵からの攻撃をふせぐためとならった)犀川南岸の台地に寺院が集められた。寺町寺院群である。金沢にはこのほかに,小立野寺院群や浅野川北岸の東山にある卯辰山山麓寺院群がある。したがって,これらの寺院は一向宗以外の禅宗や日蓮宗が中心となっていて,浄土真宗の寺院はほとんどない。

・大正十年(1921) 7月10日:街鉄市内電車の第2期線の寺町線が開通した。延長1マイル。
・大正十三年(1924) 6月19日:犀川の上菊橋から野田寺町1丁目に出る坂の拡張工事が完成したので不老坂と命名、落成式がおこなわれた。
・昭和十八年(1943) 8月24日:野田寺町松月寺の桜(大桜)と広坂通堂形のシイの木(県庁前)が文部省から天然記念物に指定された。
・昭和三十二年(1957) 11月20日:寺町終点─野田町間の道路舗装が完成、この舗装を公共事業(全額国庫資金)として実現するために、手をたずさえて努力した地元十一屋校下の母親たち約1,000人も参列して、寺町終点映画館でなごやかな完成祝賀式がおこなわれた。
・昭和三十五年(1960) 1月10日:十一屋、泉野両校下の公民総合センター城南公民会館」が完成、落成式があげられた。十一屋公民館が中心となって野田寺町1丁目の旧市民病院の払下げ(421万円)を受け、改装設備費に150万をかけたもので、資金は簡易保険料の集金手数料の積み立てなどをあてた。館内には結婚式場、ホール等もある。
・昭和三十五年(1960) 11月30日:寺町台に赤痢続発、11月16日野田寺町1丁目柱岩寺保育所に13人、27日野田町養護施設亨誠塾に13人発生した。本年にはいってからの市内赤痢患者130人のうち、寺町台の発生数は52人。
・昭和三十七年(1962) 4月29日:午前9時50分ごろ野田寺町1丁目桂岩寺から出火、同寺を全焼してさらに同寺裏の民家2戸と納屋1むねを全焼、2戸を半焼した。桂岩寺の有名な木仏五百羅漢(文政8年完成)は、数体を持出しただけであとは焼失した。
・昭和三十八年(1963) 2月7日:北鉄バス金沢市内線の金沢駅前ー寺町間が開通。これで市内バスの開通路線は、橋場町ー公園下ー香林坊間と、橋場町ー公園下ー香林坊ー金沢駅間とをあわせ3線。
・昭和三十八年(1963) 6月1日:金沢市最初の住居表示法にもとづく新住居表示が、寺町台一帯で実施され、44町が18町に統合された。新しい18町名は野田町、平和町1─3丁目、法島町、十一屋町、若草町、緑丘、寺町1─4丁目、泉野町1─6丁目で、対象は4,587戸。
・昭和三十九年(1964) 11月27日:赤痢の集団発生があい次ぐ金沢市内で、また弥生町の弥生小学校に児童15人(ほかに給食調理人1人、家族4人)が赤痢にかかった。ことしになってから本日までの金沢市の赤痢患者は579人、うち寺町台地の発生が約30%を占めている。
・昭和四十二年(1967) 2月2日:市内電車の全面廃止を記念する花電車が午前10時、北鉄本社車庫を出発、市民に別れを告げた(花電車は10日まで運転された)。
・昭和四十二年(1967) 2月10日:大正8年以来48年の歴史をもつ北鉄の市内電車が全面廃止された。
・昭和四十四年(1969) 12月22日:本多町と寺町台を結ぶ都市計画街路、新桜坂が完工、開通式が行われた。延長233メートル、幅9メートル、両側に1.5メートルの歩道。工費1億5,350万円。
・昭和五十年(1975) 2月23日:闕野神社(寺町)の菊桜(樹齢150年)が枯死した。
大日本帝国陸軍の第九師団が金沢に置かれたのが1898年である。ちょうど北陸本線の金沢までの延伸が完了して,金沢駅が設置された年だ。その兵舎が野村(現在の平和町)におかれたため,寺町もその恩恵を受けていたと思われる。

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