2021年4月11日日曜日

冷蔵箱

日本の高度経済成長期と自分の子供時代が重なっているので,小学生のころに耐久消費財の変遷を目の当たりにすることになる。また,大人になってからは情報技術革命の真っ只中で環境の激変を体験した。さらには日本の没落過程(後進国化)と自分の老年期が重なるという,なんとも不思議な巡り合わせだ。

炊飯:幼稚園のころはかまどで炊飯し,おひつに移して食べていた。その後,ジャーによる保温に変わり,小学校低学年のころには電気炊飯器がやってきた。炊飯後の電気炊飯器が熱いことを十分学習していなかったため,軽い火傷をすることになる。

暖房:小学校低学年までの掘りごたつには炭が入れられていた。炬燵の中にもぐって遊ぶことも多かったがよく一酸化炭素中毒しなかったものだ。足の裏がおこしたばかりの炭に当たって火傷して水膨れを作ることになる。火鉢もあってお好み焼きのヘラのような道具で灰を炭火に寄せていた。小学校中学年以降は,石油ストーブ・ガスストーブ・電気炬燵の組み合わせに変わった。

冷房(エアコン):寺町のおばあちゃんの家には1960年代中期からあったがうちには扇風機しかなかった。1980年代に帰省したときにようやくエアコンが設置されていた。なお,大学の研究室(職場)でエアコンの恩恵を受けるのは1992年に柏原キャンパスに移転してからである。

テレビ:幼稚園のころ(1958-1959年)には白黒テレビがあった。NHKのテストパターンで薔薇や撮影機のレンズがズームしていたのが印象深い。カラーテレビは小学校の高学年になったころから。ブラウン管に磁石を近づけると電子ビームが偏向して色むらを生ずるので注意してください。1964年の東京オリンピックか,1965年のジャングル大帝かどちらかをカラーでみた記憶にあるがこれもあまり当てにならない。

洗濯機:風呂場に洗濯板で洗濯していたような場面は覚えている。妹のオムツが庭に盛大に干してあったので,おむつだけ手洗いだったのだろうか。電気洗濯機は小学校低学年のころには風呂場の隣にあった。脱水はローラを手回しするやつだ。洗濯機の横に置いてあった粉洗剤に水を垂らすと水がどんどん粉の中に吸い込まれていく。楽しくなった小学生が止まらずやっているうちに大変なことになり,母親にこっぴどく叱られた。

冷蔵庫:冷蔵箱ともよばれる木製の氷冷蔵庫が家の台所にあったような気がする。小学校低学年のころに小さな電気冷蔵庫もやってきた。もちろん1ドア式で,製氷は可能だけれど冷凍庫なんてものはない時代。いたずら好きの小学生はコップに色々とややこしい材料(食べられないものを含む)を混ぜた魔女の薬のようなものを作って冷蔵庫に入れておいたら,母親が間違えて飲みそうになったということでこっぴどく叱られた。

小学校4年までは,金沢市泉野町が住所の平屋に住んでいたが,昭和38年から昭和40年ごろに行政合理化のため旧町名が一斉に整理統合され,金沢市寺町に変わった。ちょうどその頃古い家を壊して2階建の家を新築している。1963-1964年(小学校4年生から5年生)が時代の境目だった。1960年代後半にかかる中学生時代には,今とほぼ同様の家庭電化製品が揃うことになった。


写真:冷蔵箱=木製氷冷蔵庫のイメージ(千葉県立中央博物館大利根分館から引用)



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