2019年7月8日月曜日

新聞記者

リタイアすると,平日の昼に映画を見ることができるようになった。新ノ口のシネマ橿原で「新聞記者」を上映していたのでいってきた。はい,朝から老人ばかりです。東京新聞の望月衣塑子が原作を書いていおり,東京新聞が映画の製作にも協力している。この映画は「シン・ゴジラ」のようにカタルシスを与えるものではなく,「この世界の片隅に」のように現実のディテイルからなにかを紡ぎ出すものでもなく,「主戦場」のように課題を照射するものでもなかった。抽象的で抑制的な画像と演出の中で,現実の世界のできごとと相似な世界が描かれていく。

登場するのは,新聞記者と官僚とそれらの家族三組だけであり,安倍晋三も加計孝太郎も,政治家や企業家はまったく登場しない。それはそれでありだと思う。物語の構造は非常に単純であり深みはない。いや,小説より奇な現実の非常にうまい写像になっているために,見慣れた風景にしか見えないといったほうがよいかもしれない。気がつかなかった視点を新たに提供するものでもない。南彰と前川喜平とマーティンファクラーと望月衣塑子の対談が埋め込まれているのだが,映画のストーリーと完全にシンクロして矛盾しない。そしてひたすら,現実世界の少し裏側にすけてみえる内閣調査室のカラクリを提示してくる。

主演女優のシム・ウンギョンはとてもよかったが,松阪桃李は努力賞といったところか。映画で重要な役割を果たした多田の田中哲司が,尾美としのりにしか見えなかった自分の識別力に問題があったのかもしれない。というわけで,菅野完にいわせれば望月衣塑子の世界観が間違っとるからということになるのかもしれない。家族のドラマのところでもっとドロドロしたものが出てくるのかと思っていたら,そうではなく定型的なパターンだった。原作の問題なのか監督や演出の問題なのか。

もうひとつ引っかかったのが,加計学園のモデルにダグウェイ羊事件をからめたところである。内閣府主導の軍事目的施設というのはちょっとどうかと思う。現実の加計学園はそれどころではない,グダグダの施設でほとんど学園の資金計画ありきの間に合わせの計画だったように報道(マスコミではない)されているので,なかなかリアリティを持つことができなかった。

P. S. ニューヨーク公共図書館の映画の予告編がよかった。

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