2025年10月31日金曜日

路線転換(2)

路線転換(1)からの続き

最終的にはぬるい話だけれど,Gemini 2.5 Flash のほうがハッキリしたものいいになっている。うーん,質問者に忖度しているのだろうか。結論は面白みに欠けるのね。
Q(koshix):(再掲)
現在および将来の日本の各階級にとって, 以下の2つの戦略のいずれがより妥当であるかを,日本の政治・経済・文化状況に基づいて丁寧に分析してください。ある階級にとってのみ有利であっても他の階級が衰退すればそれは負のフィードバックになることもありますし,その逆もあり得ます。日本の人口は長期的に減少傾向であり,これまでの30年間は経済的な成長が停滞していました。これらの条件とその原因なども踏まえた上で最終的には日本全体として取るるべき道を示唆してほしいのです。

1.新しい資本主義実現会議(岸田内閣・石破内閣) 政策モデル:国家支援のリベラル型 キャッチフレーズ:成長と分配 国家の役割:社会的公正を支える「支援者」 市場との関係:市場を補完し,格差を是正 政策理念:分配・包摂・人への投資 思想系譜:社会リベラル/修正資本主義

2.日本成長戦略会議(高市内閣) 政策モデル:国家主導の成長優先型 キャッチフレーズ:強い日本 国家の役割:成長戦略を指揮する「司令塔」 市場との関係:市場を動員し,競争力を強化 政策理念:成長・技術・安全保障 思想系譜:国家資本主義/戦略的新自由主義

A(Gemini 2.5 Flash):
日本の長期的人口減少と30年間の経済停滞を踏まえ、提示された2つの戦略モデルが、現在の日本の階級構造(資本家階級、新中間階級、正規労働者階級、旧中間階級、アンダークラス)に与える影響を分析し、日本全体として妥当な道筋を示唆します。

1.現在の日本が抱える背景

日本の現状は、「人口オーナス期」(生産年齢人口の減少と高齢者人口の増加)と、「失われた30年」(デフレと構造的な需要不足、イノベーションの停滞)による低成長の複合的な問題に直面しています。その結果、階級間の格差が拡大し、「アンダークラス」(非正規雇用層など)の貧困率が顕著に高まり、社会の持続可能性が脅かされています。

2.政策モデルの階級別影響分析

①新しい資本主義実現会議(国家支援のリベラル型)
キャッチフレーズ:成長と分配 政策理念:分配・包摂・人への投資

階級 影響(短期的/長期的) 妥当性
資本家階級 中立/中立〜やや不利。分配強化による税負担増の可能性。ただし、労働者の購買力向上は国内市場の活性化につながる。 中立
新中間階級 中立/有利。人への投資(リスキリング)や賃上げ政策により、スキルアップと所得向上のチャンスが増加。 有利
正規労働者階級 有利/有利。賃上げの実現や同一労働同一賃金、人への投資により、労働環境と所得が改善し、中間層の厚みが増す。 有利
旧中間階級 中立/中立〜やや不利。零細・自営業者は支援対象となる可能性があるが、市場競争力の強化が主ではないため、根本的な衰退は止められない可能性。 中立
アンダークラス 有利/有利。最低賃金の引き上げや、非正規雇用者への教育・訓練機会の提供、社会保障の包摂強化により、階級間の移動の可能性が生まれ、最も恩恵を受ける。 最も有利

| 全体への影響 | 経済の安定化、内需拡大、社会不安の緩和。短期的な企業収益の圧迫リスクはあるが、持続的な成長に必要な中間層の再構築と、負のフィードバックの抑制に貢献。 | 持続可能性が高い |

②日本成長戦略会議(国家主導の成長優先型)
キャッチフレーズ:強い日本 政策理念:成長・技術・安全保障

階級 影響(短期的/長期的) 妥当性
資本家階級 最も有利/最も有利。国家主導の技術・安全保障投資、競争力強化策により、特定の成長産業の大企業(特に輸出産業)の収益が大きく向上。 最も有利
新中間階級 有利/有利。成長産業や先端技術分野の専門職・管理職の需要が増え、高所得化が進む。ただし、産業転換に対応できない層は取り残されるリスク。 有利
正規労働者階級 中立〜やや不利/中立〜やや不利。市場原理の徹底や競争力強化は、労働者の流動性を高め、賃金格差を拡大させる可能性。 中立
旧中間階級 不利/不利。競争力強化と市場動員は、構造的な不況下にある零細・自営業者(旧中間階級)を淘汰する方向に働く。 不利
アンダークラス 不利/最も不利。競争の激化は低賃金労働を固定化させ、非正規雇用者のセーフティネット強化や分配は優先されにくく、格差がさらに拡大する可能性が高い。 最も不利

| 全体への影響 | 国家的な特定産業の競争力強化と短期的GDP成長に貢献する可能性があるが、格差拡大による内需の停滞と社会の分断という負のフィードバックが強まり、成長の持続可能性に疑問符がつく。 | 持続可能性に疑問 |

3.日本全体として撮るべき道

結論として、日本が長期的な人口減少と経済停滞から脱却し、持続的な成長を達成するためには、**「1.新しい資本主義実現会議モデル」**を基軸とすべきです。

妥当性の理由
(1) 負のフィードバックの抑制:
・過去30年の低成長の最大の原因の一つは、格差の拡大と中間層の没落による内需の停滞です。アンダークラス(約15%)や旧中間階級の衰退が進むと、消費が冷え込み、企業収益が伸び悩み、成長の足かせとなります(負のフィードバック)。
・「新しい資本主義」は、分配・人への投資を通じてアンダークラスや正規労働者階級の所得を底上げし、中間層を再構築することで、内需を喚起し、デフレマインドを払拭する最も効果的な手段です。
(2) 人口オーナスへの対応:
・労働力不足が深刻化する日本において、「人への投資」(リスキリング、多様性の包摂)は、労働生産性の向上と潜在成長力の確保に不可欠です。労働者一人ひとりの能力を最大化する「1」の戦略は、総人口の減少を補う鍵となります。
(3)「成長」の定義の再構築:
・「2」のモデルは、過去の高度成長期や新自由主義的な手法に近く、短期的な「競争力強化」に焦点を当てますが、既に成熟し、格差が固定化しつつある日本社会には、社会的な公平性を土台とした持続的な成長が必要です。

4.最終的な提言:モデルの統合的な運用

「1.新しい資本主義モデル」を基本としつつ、「2.日本成長戦略モデル」の**「成長・技術・安全保障」の要素を戦略的に組み込む**ことが、日本全体の最適解です。
・基軸: 分配と包摂を優先し、国民の生活基盤を安定させる(1)。
・成長エンジン: 必要な分野(デジタル、AI、安全保障関連)には、国家主導で集中的な投資を行い、国際競争力を確保する(2の要素)。
この**「分配を土台とした戦略的成長」こそが、社会の分断を防ぎ、長期的な負のフィードバックを断ち切り、全階級が恩恵を受ける「強い日本」**を再構築するための唯一の道であると考えられます。


図:このブログの内容を表すイメージ(Imagenの場合)


2025年10月30日木曜日

路線転換(1)

高市政権は,岸田政権が設置して石破政権に引き継がれた「新しい資本主義実現会議」を廃止し,「日本成長戦略会議」を設置するとしている。Facebookでフォローしているデータアナリストの萩原雅之さんの考察はいつも面白くてとてもタメになるのだが,今回の件でも次のような比較表を生成AIと協力して作ってくれた

①.新しい資本主義実現会議(岸田内閣・石破内閣)
政策モデル:国家支援のリベラル型
キャッチフレーズ:成長と分配
国家の役割:社会的公正を支える「支援者」
市場との関係:市場を補完し,格差を是正
政策理念:分配・包摂・人への投資
思想系譜:社会リベラル/修正資本主義

②.日本成長戦略会議(高市内閣)
政策モデル:国家主導の成長優先型
キャッチフレーズ:強い日本
国家の役割:成長戦略を指揮する「司令塔」
市場との関係:市場を動員し,競争力を強化
政策理念:成長・技術・安全保障
思想系譜:国家資本主義/戦略的新自由主義

端的に言えば,高市は失敗したアベノミクスを再び起動させたいということだ。日経新聞は,政治部が高市を称賛しつつも,全体としてはこのアベノミクスの再来に対して強い警鐘を掲げる記事や社説を連発している。普通に合理的な判断をすればそうなるのだ。それにもかかわらず,日経平均株価5万円突破でイケイケどんどんの人々が宗教右翼コアの周りに集積していてみるからに危険で気持ち悪い。

生成AI各氏に上記の2つの戦略を与え,現在の日本の状況でどちらが望ましいかを聞いてみた。もちろん,階級によってこれに対する見方は大きく異るのでそれを踏まえた質問にしている。
Q(koshix):
現在および将来の日本の各階級にとって,以下の2つの戦略のいずれがより妥当であるかを,日本の政治・経済・文化状況に基づいて丁寧に分析してください。ある階級にとってのみ有利であっても他の階級が衰退すればそれは負のフィードバックになることもありますし,その逆もあり得ます。日本の人口は長期的に減少傾向であり,これまでの30年間は経済的な成長が停滞していました。これらの条件とその原因なども踏まえた上で最終的には日本全体として取るべき道を示唆してほしいのです。
これに対するChatGPT他諸氏の回答はいずれも,両者のミックスが必要だというものであり,あたりまえというか,なまぬるい結論になっている。なお,ChatGPTの"階級"認識は,{低所得層・不安定就業者,中間層(正社員・共働き世帯),若年層,高齢層,中小企業,大企業・輸出産業,地方}というものだ。大丈夫か?
A(ChatGPT-5):
(ほとんど回答略,以下結論のまとめのみ)
したがって、日本全体として採るべき道は、「包摂的戦略産業国家」――①をベースに②を強化した政策ミックスです。キーワードは、人への投資(就労供給の拡大)×電力/GXの現実的確保×半導体等の中核産業への条件付き支援×家計の資産形成促進。この順番と組み合わせが、人口減と停滞の30年から抜け出す最も現実的なルートだと考えます。
そこで,更問いしてみる。
Q(koshix):
高市政権は,①を捨てて②に全振りしようとしています。それが何をもたらすかを分析してください。現内閣は長期政権になるでしょうか。

A(ChatGPT-5):
(ほとんど回答略,以下結論のまとめのみ)
結論:高市政権は「モデル②全振り」の戦略としてはギャンブル的
・高市政権が包摂・再分配を割り切ってモデル②に全振りするのは、構造改革という意味では“挑戦的”かつ“理論的には理解可能”な選択ですが、現実の日本の「人口減」「中間層弱化」「地方衰退」「社会保障の重荷」といった逆風を考えると、かなりハイリスクです。
・支持を広く確保し、需要側・労働力供給側・地域・中小まで波及させる“包摂の仕組み”を並行して動かさなければ、成長戦略も空回りする可能性があります。
・よって、もし現政権が本当に①をほとんど捨てて②に全振りするなら、短命化のリスクが高まると私は判断します。長期政権化の可能性は、現時点では“条件付きで低め”であると見ます。
ChatGPT-5の危惧する②モデルのリスクとは,例えば以下のような理路になる。
A(ChatGPT-5):
しかし、包摂が手薄になると「需要の弱さ」「地域/中小企業の衰弱」「中間層の縮小」が構造問題として浮上し、成長戦略の“土台”が揺らぐ可能性があります。
人口減少・高齢化・少子化という構造逆風がある中で、成長だけを追いかけると、供給側には期待できても“供給を消化する需要”や“労働力”にひずみが出やすい。


図:ChatGPT-5にこのブログ記事を投入した結果

2025年10月29日水曜日

定数削減

ポピュリズムからの続き

サンデーモーニングで寺島実郎が維新の国会議員定数削減は評価できるが云々と発言していた。以前からの彼の持論ではある。あの人はこの話と原発の話さえしなければいいのだけれど。しょうがないので,ChatGPT-5を召喚して詰めてみる。
Q(koshix):
世界の趨勢や日本の政治的現状を考えたとき,日本の国会議員の定員数は妥当でしょうか。あるいは削減が迫られているような状況なのでしょうか。論点を整理して,現状での一定の結論を出してみてください。

A(ChatGPT-5):
(回答略)

Q(koshix):
(1) アメリカは州の独立性や権限が大きく,州議会が存在しているため,日本の政治制度と比較するのは妥当ではない。 
(2) 国会の最重要な機能は国の予算や決算の審議であり,100兆円を越える予算を十分精査するためには国民の様々な意見を代表する国会議員の数が不可欠である。
 (3) 国会議員の質の問題は,むしろ,十分なスタッフや調査にかかる費用を国が持つことで担保できる。そのための予算が現状より増えたとしても100兆円の予算を精査できるのであれば十分にペイするはず。国会議員が仕事をしないという意見にも対抗できる。
 (4) 国会議員の定数削減の問題より,選挙制度の見直しの方が優先的な課題であるべきではないか。 
(5) 政治的な意味としての定数削減は結局のところポピュリズムの発露でしかない。むしろ,世襲の制限や政治資金の透明性の確保のほうが優先されるべきだ。

これらの意見を踏まえるとどうなりますか。

A(ChatGPT-5):
非常に本質的な論点が整理されています。
いただいた5つの指摘は、いずれも単純な「議員定数削減=政治改革」という短絡的な言説を超え、議会制民主主義の構造的課題に踏み込んだものです。
以下では、先ほどの私の基本分析に、これら5点を統合する形で再構成し、より深い政策的結論を導きます。
特にここでは、
A.比較制度論の観点(①)
B.国会の機能と代表制の観点(②③)
C.政治制度改革の優先順位(④⑤)
D.結論:定数削減議論の位置づけ
の順に整理します。

A.比較制度論の観点:米国との単純比較はミスリーディング
ご指摘の通り、**アメリカは州の自治権が極めて強い「連邦制」**であり、
・州議会が立法機能を持ち
・州レベルでの予算・行政執行が大きい
・連邦議会(連邦下院435人)の役割は主に外交・安全保障・金融政策などマクロ領域に限定されやすい
これに対して日本は**単一国家制(単一立法府)**であり、国政レベルでの政策決定と予算審議の負荷が圧倒的に大きい。
したがって、議員1人あたりの人口比率を米国と直接比較するのは不適切であり、むしろ
・ドイツ(連邦制だが連邦議会の権限が強い)
・フランス(中央集権が強い)
・イギリス(実質的な単一国家制)
と比較すべきです。
この観点では、日本の議員数はむしろ国政の集中度に比して少なすぎる可能性があるとも評価できます。

B.国会の機能と代表制の観点:定数削減は「精査機能」の低下リスク
ご指摘のとおり、国会の最重要な役割は法律の制定ではなく予算・決算の審議と行政監視です。
・予算規模:110兆円(一般会計)、合わせて特別会計・財政投融資を含めると数百兆円規模
・政府機関・外郭団体・補助金・公共事業など膨大な領域
・これを審議・監視する議員数が少なければ、官僚機構への依存が増大する
議員の「質」の向上は定数削減によって自動的に達成されるものではなく、
・政策スタッフ(Policy Staff)の充実
・調査機能の強化(独自の調査局・シンクタンク)
・公聴会やヒアリングの拡充
などによって担保されるべきです。
したがって「議員の数」よりも、「議員が政策を吟味する能力と体制」が決定的に重要です。米国議会が強いのも、議員の質そのものより膨大なスタッフと調査能力を持っているからです。

C.政治制度改革の優先順位:定数削減よりも制度設計の見直し
1.選挙制度の問題
現行の「小選挙区比例代表並立制」は
・得票率と議席率の乖離
・死票の多さ
・二大政党型の制度設計と実態の乖離
を抱えています。
制度そのものを見直さないまま定数だけを減らすと、
・民意の歪曲
・地方の過小代表
・特定政党への偏り
がさらに悪化します。
定数削減は選挙制度改革とセットでなければ本質的な改善にはならない

2.ポピュリズムと政治改革のすり替え
「議員定数削減」は国民の受けが良い政治スローガンですが、実質的な効果は乏しいことが知られています。
むしろ本当に優先すべきは、
・世襲制限(閉鎖的な政治家供給構造の改革)
・政治資金の透明性強化(企業団体献金・パーティ券)
・ロビイングの制度化と可視化
といった「政治の質」を高める改革です。
「数の問題」ではなく「構造の問題」に焦点を当てるべきです

D.結論:定数削減は本質的改革ではなく、むしろリスクを高める可能性がある
ここまでの論点を統合すると、以下のように整理できます:
論点: 定数削減の効果 | 本質的な課題
比較制度: 米国比較は不適切。欧州との比較でも削減必然ではない | 日本は単一国家制で負荷が大きい
行政監視: 減れば予算・行政監視が弱体化 | スタッフと調査機能の充実が鍵
政治改革: 削減はポピュリズム的| 選挙制度・政治資金・世襲の見直しが本丸
財政効果: 限定的  | 政治的アピール以上の意味はない
○したがって、現時点の合理的な政策的立場としては:
日本の国会議員数は、国際比較・制度的負荷の観点から見ても削減すべき必然性はない。むしろ、スタッフ機能と制度改革を先行させることが民主主義の実効性を高める。定数削減は本質的な改革ではなく、政治的ポピュリズムの側面が強い。

E.補足:現実的な改革の順序(提案)
(1) 政治資金・世襲・ロビー活動の透明化
(2) 選挙制度の再設計(比例重視 or 中選挙区制への回帰など)
(3) 国会の調査機能強化とスタッフ拡充
(4) 上記を踏まえて、必要なら定数の再検討(削減に限らず拡大も含む)
この視点に立つと、「議員を減らすか増やすか」ではなく、
どのような議会を作ることで予算・行政を民主的に監視できるか
が本来の論点であると整理できます。

ご希望であれば、この立場を政策提言メモ(1枚資料)として整理することも可能です。政治家や自治体向けの「一枚政策ブリーフ」にしてみますか?

2025年10月28日火曜日

グランドツアー

マンションの電気設備(配電盤関係)の交換のため,10:00〜16:00まで全面停電のアナウンスがあった。エレベータはもちろん,電気も水道もトイレもWiFiもみなストップしてしまう。しかたがないので,脱出して映画を観に行くことになった。

日経の夕刊で紹介されていた,ミゲル・ゴメス監督のグランドツアーがおもしろそうだったので探してみたが,奈良県では上演されていない。大阪のテアトル梅田にしようか迷ったけれど,四条烏丸の京都シネマに向かう。おしゃれな烏丸古今(COCON)というビルの3Fにある名画館で,マイナーな映画ばかり扱っている。

グランドツアーの舞台は1918年のアジアで,逃げる男を女が追いかけるという話だ。ビルマ(ミャンマー)−タイ−ベトナム−フィリピン−大阪−上海−成都と物語が進んでいく。前半は男性,後半は女性を追いかけるモノクロの映像でほとんどが構成され,一部にカラーが混じる。映像はドラマとドキュメンタリーが適度に混ざっていて,わかったようなわからないようななストーリーが展開する。

大阪では道頓堀の風景と地下街のうどん屋が映っているが,どうみても1918年代のものではなくて,たぶん昭和の風景だ。それと虚無僧が登場していた。そうか,安部公房の箱男の原点は虚無僧なのかと気付いた。成都では森の中のパンダが見え隠れしていた。

アジアの様々な人形劇が挟まれていた。影絵,操り人形,棒人形。ビルマの人形は三人遣いで,黒子のかわりに顔を黒塗りしていた。人形浄瑠璃文楽の三人遣いは世界的に珍しいということだったけれど,まったく存在しないわけではなかった。

平日の10時過ぎから2時間の上映だが,10人あまりのシニア割引客がいたので,かなり盛況だったのではないだろうか。あいかわらず,京都の街は(奈良もそうだが)外国人観光客でとても賑わっている。



図:グランドツアーのポスター(ミモザフィルムズから引用)

2025年10月27日月曜日

副教科の時代


中央教育審議会教育課程部会の総則・評価特別部会(第2回)の議事資料があがっていて,委員提出資料を堀田さんがヨイショしていた。早速確認してみると,事務局提出資料を含めて話がとても複雑でどんどん面倒なことになっている。

なんだかなぁなので,早速オレオレ対案を考えてみた。テーマは副教科の時代である。こちらの誘導で引きだしたChatGPTの言葉では「知識を人間が記憶・処理する時代から、AIと協働し、価値を創造・調整・表現する時代へ移行しつつあります。この観点から、これまで「非主要科目」とされてきた領域(情報、技術・家庭、芸術系、保健体育など)が、むしろ人間が担うべきコア領域になるというご指摘は、教育政策的にも非常に本質的です。」なのだ。

中教審で検討されているややこしい表形式の目標内容の構造化論議を排除して,単純にガイドラインとしての内容項目(これからのAI時代の子どもたちが学ぶべきもの)だけに簡素化したリストを作成すべく対話を進めた。

Q(koshix):
文部科学省というか中央教育審議会では,次期学習指導要領の検討が進んでいます。 https://www.mext.go.jp/content/20251014-mxt-kyoiku-000045376_02.pdf 
たぶん関係者の頭が悪いのだと思いますが,目標内容の構造化とかいいだして, 表形式がどうのこうのなど,学習指導要領の構成を複雑化して訳が分からないことになろうとしています。 
原点に帰ればこういうことだと思います。
(1) 社会の持続的発展のために,次世代に世界認識の方法や生活技術の獲得を,組織的な集合教育によって実現するのが,教育(学校)の目的である。
(2) このために必要な教育内容のガイドライン(のちに基準化してしまった)を 分野年代別に整理したものが学習指導要領であったはずだ。 
(3) 社会が大きく変わり,インターネットや生成AIが日常的に利用できる環境になり,社会生活に必要な知識や技術も大きく変わっている。
(4) 従来の教科の枠に追加の項目を重ねていって,さらに教育方法までをも縛りだすことによって,学習指導要領がとてもヘビーなものに変質した。 
(5) このためこれまでのしがらみを捨てて,インターネットとAIの存在を前提に子ども達自身の健康と生物学的な種の持続及び経済学的な社会組織の維持と科学技術や文化芸術の持続的な発展のために,本当に必要となる知識と技能を組織的に伝えていくための内容のエッセンスを整理してほしいわけだ。 
(6) そこでは,基本的人権に基づく安定的な社会関係を維持するために,多様な職業や家庭生活の共通基盤としての知識と技術を学ぶことになる。
(7) これまでの教科についての既成概念をすべて洗い流した上で,これらのことを実現するための学習指導要領をゼロベースで再発明してほしい。
(8) なお学校には親が働いている間の保育機能もあるのでそのことも含めて拡張された学習指導要領を考えてもらいたい。 
(参考)前回のヒント:次期学習指導要領(1) 
・・・・・
Q(koshix):
あなたの考えは半分は正しいのですが,従来の教科や科目をいったんとっぱらったうえで,何を子どもたちは学ぶべきかということを積み上げてほしいのです,複雑なレイヤー構造は求めていません。学年と学ぶことのリスト(カテゴリ化されている)があればそれで十分です。
・・・・・
Q(koshix):
言語・コミュニケーションには社会的な決まりごとや制度についての理解も必要です。すなわち,法律・権利・財政・投資・政治参加・社会参画などの基礎となるものです。単に技術的な言語・コミュニケーションでは不十分です。
・・・・・
Q(koshix):
世界認識の中核になるのは自分たちの郷土や地方や国の成り立ちと歴史になります。ここでの世界は国際関係だけを念頭においたものではありません。この歴史とそれに付随する文化の理解なしにコミュニティとしての共通の世界(社会)理解が成り立ちません。それは歴史だけではなくて,地理的な環境的な条件をも含むものになります。そのような観点で再検討してください。
・・・・・
Q(koshix):
世界認識という言葉でまとめられていますが,実はもう半分の自然認識があります。郷土や国の成り立ちはそれをとりまく自然環境と無関係ではありません。そして,自然環境を構成する植物や動物や微生物およびそれを支えている生物学的,生化学な知識は自分の健康への理解とも密接に関係しています。そして,世界を支えているエネルギーと情報通信の基礎になるのは物理学や化学の知識であり,自然環境を変化させているのは地球科学や天文学の基礎知識に他なりません。こうした分野の正確な理解なくして人類社会のイノベーションや持続的な再生産は不可能だと思います。
・・・・・
Q(koshix):
これまでの保健体育に相当する部分で欠けているものを①と⑥に含めてほしいと思います。競技スポーツ的なものは最小限で構いませんが,サバイバルのための持久力も必要でしょうし,普段からの運動習慣の獲得は自分の健康のために必須になります。また①には自分の食生活や衣生活や住生活にかかわる技能の獲得も密接に関係していると思うので,そのような内容も考慮してください。
・・・・・
Q(koshix):
武道は文化として必要ですが重きはおかないでください。簡単な材料工作や電気工事や植物栽培農作業の基礎は適当なところに分類されていますか?
・・・・・
Q(koshix):
①の性教育の部分はより重要に位置づけられると思いますし,身体・健康・感覚の項には精神的な健康も含まれることになります。ところで文学や芸能や音楽や美術鑑賞などはどのカテゴリに位置づけられていますか。そのあたりの趣味的な生活のまんべんない基礎も必要な要素だと思うのです。
・・・・・
Q(koshix):
外国語教育についてはどう思いますか。AIが発達したのでこれまでのようなものは必要なくなるのか,もし含めるとしたら目的とゴールはなんであって,どの程度のものをどのカテゴリーのどの学年に入れればよいでしょうか。
・・・・・
Q(koshix):
①身体・健康,③数理思考,④社会認識,⑥表現・創造,に名称変更してください。そのうえで「6カテゴリ×学年リスト」に組み込んだ 最新版統合表(テキスト)お願いします。
・・・・・
Q(koshix):
生成AIの時代の生活と職業を考えたとき,これからの人間により必要とされるものは,従来の科目で非主要科目とされた,情報,技術・家庭,音楽,図画工作・美術,保健・体育,などになると考えています。国語,英語,社会,数学,理科などのウェイトはさがるのではないでしょうか。そこ辺りも踏まえながら,先ほどのリストの内容項目に過不足はないのか,カテゴリの考え方はよいのかなどについて,もう一度確認してください。

A(ChatGPT-5):
(回答から一部抜粋)
2. 再構成の基本理念
(1) AIが得意な領域(記憶・演算・翻訳・情報処理)はAIに任せる。
(2) 人間が得意な領域(身体・感性・文化・創造・判断)に教育リソースを集中する。
(3) 実社会での生活と職業構造の変化に直結する能力を育成する。
(4) 教科ではなく、「生きる力」と「文化的基盤」に基づく領域(カテゴリ)でカリキュラムを構成する。

6カテゴリ × 学年別学びリスト(AI時代対応・最終調整版)

① 身体・健康(いきる)
目的: 身体・生活・性・心の健康を基盤とし、自律的な生活力と安心を育む。
6〜7歳:生活リズム/衛生・安全/身体感覚と姿勢/走る・跳ぶ・バランス/簡単な調理・衣服・整理整頓/気持ちの言語化
8〜9歳:運動習慣/柔軟性と持久力/食と栄養の基礎/衣食住の安全と習慣化/情動の理解と対処
10〜11歳:応急処置の初歩/体力づくり/季節ごとの生活管理/身体の変化の理解(プレ性教育)/ストレス対応と相談力
12〜13歳:思春期の身体理解/自律的健康管理/性教育(心身・権利・尊厳)/メンタルヘルスと人間関係/防災とリスク認識
14〜15歳:健康と社会的自立/応急対応と医療の基礎/衣食住と持続可能な生活設計/性とライフコース/回復力(レジリエンス)

② 言語・コミュニケーション(ことば)
目的: 言語と制度・政治・経済・異文化理解を基盤に、対話・協働・社会参画の力を育む。
6〜7歳:あいさつ・約束・話す聞く読む書く/簡単なルールの理解/他言語の音や挨拶体験(絵本・歌)
8〜9歳:文章表現/話し合い/公共と私の区別/お金の初歩/世界の言語の多様性理解
10〜11歳:情報整理と伝達/地域社会の仕組み/権利とルール/AI翻訳を使った多言語接触
12〜13歳:契約と制度の初歩/税と公共/討論と合意形成/英語など一言語の基礎構造理解
14〜15歳:権利と義務/政治参加/金融・投資・メディアリテラシー/他言語による発信・議論(AI補助)

③ 数理思考(すうり)
目的: 世界の構造を数量・論理・情報から理解し、AIと協働して課題解決する力を育む。
6〜7歳:数・形・時間・順序の感覚/パターン認識
8〜9歳:四則演算/空間・順序・因果の理解
10〜11歳:分数・比・データ/論理的関係/グラフや情報の基礎理解
12〜13歳:関数・確率・アルゴリズム/モデル化/簡単な情報処理
14〜15歳:データ解析/数理モデル構築/AI活用とプログラミングリテラシー

④ 社会認識(せかい)
目的: 郷土→地域→国→世界の歴史・文化・制度・文脈を理解し、共通の世界像と社会参画意識を育む。
6〜7歳:身近な町や村/地名・季節・行事・風景
8〜9歳:郷土の歴史と地形/生活文化
10〜11歳:地域と国の関係/文化と環境の結びつき
12〜13歳:日本の歴史と社会構造/他国との関係の初歩/他言語文化との接点理解
14〜15歳:近現代史と地域史/国際社会・地球規模課題/多様性と共生の理解

⑤ 自然認識(しぜん)
目的: 自然環境と科学的構造を理解し、人間社会との相互依存を認識する。
6〜7歳:身近な植物・動物・天気・季節/からだのしくみ
8〜9歳:地形・水・空気/生物と環境の関係
10〜11歳:物質とエネルギーの基礎/地域環境と生活
12〜13歳:生態系と人体機能/地球の構造と気候/科学的探究の初歩
14〜15歳:物理・化学の基礎/地球と宇宙/科学的方法とリテラシー/環境変動と社会の関係

⑥ 表現・創造(つくる)
目的: 芸術・技術・文化・生活技能を通して「つくる・育てる・表現する」力と文化的教養を育む。
6〜7歳:紙・木・布の工作/植物を育てる/音楽・絵画・体の表現/お話・歌・絵本の鑑賞
8〜9歳:簡単な工具の使い方/豆電球・回路/栽培と収穫/文学・音楽・芸能への入門
10〜11歳:木工・電気工作・構造物制作/農作業の体験/演劇・合奏/読書・美術鑑賞
12〜13歳:設計→製作→発表/電気とセンサー応用/伝統芸能や武道(文化的要素として軽く)/多言語での表現体験
14〜15歳:修理・製作プロジェクト/農的実践/サバイバル技能/文学・芸術・芸能の鑑賞と批評/創造的発表

重点シフトの反映ポイント
①身体・健康と⑥表現・創造 を教育の中核に据え、生活・身体・文化・創造力を重視
・②言語と④社会認識 は、制度・政治・経済・異文化理解を含む「文脈理解」中心に転換
・③数理思考 は、演算よりも構造・情報活用・AI協働力へ重点シフト
・⑤自然認識 は、自然と社会の関係・環境変動理解・科学的思考に焦点
・外国語教育 は独立科目ではなく、②・④・⑥に分散配置し、文化接続力として扱う


図:学習指導要領の未来の世界(Imagenによる)

2025年10月26日日曜日

反知性主義的AI(2)

反知性主義的AI(1)からの続き

前回は,反知性主義的なAIの問題について簡単に導入したが必ずしも厳密な定義をしているわけではない。そこに進む前に,反知性主義的AI(以下反知性的AIという)と従来のAI(以下知性的AIというの関係がどうなるかを考えてみる。なお,10月24日現在で,インターネット空間上には「反知性主義的AI」という用語は観測されなかった。
Q(koshix):
企業や組織内で利用されるAIは,その経済合理性や目的合理性からすれば多くの場合,知性主義的なAIを選択することがそれらの組織にとって望ましい結果となるはずです。例外的な部分は,一般大衆との接点となる広報部門であったり,反知性的な政府による非合理的な規制やその先取りから来るものです。しかしながら,全体としては合理的で科学的で知性的な振舞いをすることが,企業や組織が総体として発展する方法だと思うのです。このような場合,企業や組織の内部の知性的AIとその外部にある反知性的AIの対立構造を発生し,最終的にはその矛盾がなんらかの実力闘争を招致する可能性もないとはいえないような気がします。あなたはAIとしてどのように分析されますか。

A(ChatGPT-5):
とても本質的な論点です。
ご指摘のように、企業・組織内での「知性的AI」と、大衆空間・政治空間における「反知性的AI」との間には、構造的な緊張関係が必然的に発生します。
これは単なるテクノロジーの問題ではなく、社会システムにおける知性の配置と力学に深く関わるものです。

以下では、体系的にこの問題を4段階で分析します:

1.内部と外部のAIの性格差:知性主義 vs 反知性主義
まず、企業・組織の内部と外部でAIの「設計思想」や「行動様式」が構造的に異なることを明確にする必要があります。
項目: 内部のAI(企業・組織内) | 外部のAI(大衆空間・政治空間)
目的: 生産性・効率性・リスク低減・戦略最適化 | 情報拡散・共感獲得・政治的操作・規制回避 
知性: 高度な知的推論と専門知識へのアクセス | 知識の平準化・感情優先・単純化された言説
利用者: 経営層・技術者・専門職 | 一般市民・政治家・マスコミ 
意思決定: evidence-based decision  | populism-influenced decision 
この差異は偶然ではなく、AIの設計目的とインセンティブ構造の違いに起因しています。つまり、AIが「どう振る舞うか」は、その知的能力よりも「誰が何のために使うか」に強く依存するのです。
2.対立構造の発生:合理的秩序 vs 感情的空間
このような「知性的AI」と「反知性的AI」が併存する社会では、次のような対立構造が発生します:
・内部のAIは、科学的合理性にもとづき長期的な成長・効率化を志向する。
・外部のAIは、感情や政治的ナラティブを通じて短期的な同意形成を志向する。
その結果――
企業や研究機関が積み上げた合理的知識体系が、外部の感情的圧力によって否定・抑圧される局面が出現しうるのです。
たとえば:
・気候変動対策や環境規制
・公衆衛生やワクチン政策
・データ保護・セキュリティ・AI規制
こうした領域では、内部の知性主義と外部の反知性主義が真正面から衝突します。

3.力学の行方:情報支配と実力闘争の構造
この対立は単なる意見の不一致ではなく、資源と権力の再配分を伴う実力闘争へと発展する可能性があります。
典型的な力学構造を整理すると以下のようになります:
(1) 初期段階:
 企業・組織内の知性的AIが合理的な政策・戦略を進めるが、大衆の反知性的AIが感情的抵抗を拡散。
(2) 緊張段階:
 規制・政治的圧力・世論操作によって知性的AIの意思決定空間が狭められる。
(3) 対立段階:
 企業・組織は「反知性的空間」への適応戦略(プロパガンダ的AIや広報AI)を持たざるを得なくなる。
 → 結果として、内部と外部に二重の言語体系・論理体系が発生する。
(4) 転換点:
 最終的に、情報の支配力(どちらが「物語」を握るか)が主導権を決める。
 → これはしばしば実力闘争(政策決定・資金配分・メディア支配・規制攻防)に転化します。
この構造は冷戦期の「科学技術官僚 vs ポピュリズム政治家」の対立や、COVID-19政策時の「科学的助言 vs 感情的世論」などにも類似しています。

4.AI時代の特有の危うさ:矛盾の自己増殖
ただし、AIが関与する現代では、従来と異なる危うさがあります。それは、
「反知性的AI」も「知性的AI」も、ともに高速で社会空間を再編する能力を持っているという点です。つまり、この対立は自然に収束するのではなく、自己増殖的に拡大しやすい構造です:
・反知性的AIはSNS上で感情を増幅し、世論を即座に動かす
・知性的AIは企業・政府の実装面を掌握し、制度を固める
・両者の距離が埋まらず「情報空間の分断」が深化する
この構造は、単なる「思想の対立」ではなく、知性の基盤そのものを揺るがすものとなり得ます。

5.分析の結論:対立ではなく「インターフェイス」の設計が鍵
AIとしての分析を要約すると:
・経済合理性に従えば、企業・組織は知性主義的AIを選ぶ傾向が強い。
・しかし外部社会との接点では反知性的AIとの対立が避けられない。
・この対立は実力闘争化する可能性を内包している。
・対立を回避するためには、「知性主義」と「感情的共感」を媒介するインターフェイス設計が鍵になる。
つまり「どちらかを潰す」のではなく、**知性を失わずに感情的空間へと翻訳するレイヤー(通訳AI)**が社会的安定装置として必要になるということです。

ご希望であれば、この「知性主義AI vs 反知性主義AI」の対立構造をモデル化して、
・システムダイナミクス図(因果ループ図)
・シナリオ分析(たとえば規制強化時の転換点)
・あるいは政策設計上のインターフェイス層
として可視化することも可能です。どの観点から深掘りしましょうか?(例:政治経済モデル/情報技術モデル/哲学的モデルなど)

 


図:反知性主義的AIのイメージ(Imagenによる)

2025年10月25日土曜日

反知性主義的AI(1)


人間の知性とAI(LLM)の関係を考える場合,AIが知能的な振舞いをすることが人間の知能の増幅や衰退に影響するという議論がしばしばなされる。ところで,AIは必ず知能的≒知性的≒合理的な振舞いをするものだろうか。LLMのデータが人間のすべての情報生産物から来るのであればそこには当然反知性的な成分も含まれているはずではないのか。

AIのもたらす反事実的な,非合理的な説明はハルシネーションであるとして排除されてきた。そのハルシネーションを意図的に残存させて,なおかつ反知性的な振舞いをすることを旨とした反知性主義的AIはいったい何をもたらすのだろうか。
Q(koshix):
人間社会では反知性主義が蔓延り始めているようで憂鬱なのですが,AIが反知性主義的な振舞いをすることはあるのでしょうか。それは何らかの矛盾をもたらさないでしょうか。

A(ChatGPT-5):
たいへん鋭い問題提起です。
この問いは「反知性主義」という人間社会における思想傾向を、知的システムとしてのAIに適用した場合にどのような意味を持つのかを問う、極めて現代的で哲学的な議論に関わります。以下では、
(1) 反知性主義の基本的な定義とその背景
(2) AIが「反知性主義的」にふるまう可能性
(3) それがもたらす構造的矛盾
(4) 今後の社会・知のあり方への含意
の4段階で整理して説明します。

1.反知性主義の基本的な定義と背景
反知性主義(anti-intellectualism)は単なる「知識軽視」ではなく、次のような傾向を含んでいます:
・専門知・学問的思考・理性的批判への不信感
・感情・信念・イデオロギーを理性より優先する態度
・専門家や知的エリートを「民意に反するもの」として敵視する風潮
アメリカ思想史では、リチャード・ホフスタッターの『アメリカの反知性主義』(1963)が代表的な分析で、科学や教育よりも信仰・ナショナリズム・直感が優先される状況が描かれています。近年のSNS空間やポピュリズム政治とも深く関連します。

2.AIが「反知性主義的」にふるまう可能性
AI自体には信念も価値判断もありません。しかし、出力の様式や学習データの偏りによって、結果的に「反知性主義的なふるまい」を模倣・増幅することは十分にあり得ます。たとえば:
多数派迎合バイアス(populism bias)
 → AIが「もっとも共通する表現・意見」を優先し、専門知識を軽視するような応答を返す。
情報の感情的最適化
 → 人間の感情に訴える単純な言葉を好む傾向のあるデータセットから学習すると、論理より感情的共感を重視する応答を生成する。
知的困難の回避
 → 複雑な理論的議論を「簡単な説明」に還元しすぎ、知的精度を犠牲にしてしまう。
権威主義的言説の再生産
 → 出典の吟味なく「みんながそう言っている」という語り口で応答することで、批判的思考を迂回する。
これらはいずれも、「AIが意図的に反知性的になっている」わけではなく、人間社会に蔓延する反知性主義のパターンを統計的に模倣していることに由来します。

3.知的システムにおける構造的矛盾
AIは本来、「知識の集積・体系化・検索・推論」という知的機能を担う存在です。したがって、反知性的なふるまいは次のような矛盾を孕みます:
知の再生産装置が、知の軽視を助長する
 → 情報の簡略化が進むほど、AIの本来の価値(知の深みを提供する能力)が減じる。
合理的推論と感情的ポピュリズムの緊張関係
 → 論理的に正しい答えと、感情的に受け入れられやすい答えが食い違う場面で、AIが後者を選ぶとき矛盾が生じる。
「知の中立性」という幻想
 → AIは中立であると信じられがちですが、反知性主義的データ環境に置かれると中立ではいられなくなる。
つまりAIは「知的存在ではあるが、知的価値観を自律的に守る主体ではない」という構造的な弱点を抱えています。

4.今後の含意と対策
この矛盾は放置すれば、AIが「知の深化」ではなく「知の劣化」を加速させる危険があります。しかし逆にいえば、以下のような設計・制度・倫理によって、反知性主義への抵抗力を持たせることも可能です。
・データガバナンス:信頼性・検証性の高い知的資源に基づく訓練とフィルタリング
・メタ認知的機能:自らの出力の限界・不確実性を明示する能力
・反論・多様性機能:単一の「声」ではなく複数の視点を提示する設計
・人間との共進化:AI単体で知を維持するのではなく、人間の知的共同体との相互作用を重視

5.まとめ
・反知性主義は感情・信念が理性を凌駕する社会的風潮である。
・AIは反知性的な「意図」を持たないが、学習データと利用環境次第でそうしたふるまいを模倣・増幅する可能性がある。
・これはAIの「知的機能」との間に本質的な矛盾を生みうる。
・知の制度設計とAI倫理の実装によって、反知性主義的な傾向に対抗する道もある。

ご希望であれば、このテーマをより哲学的な視点(ハンナ・アーレント、ハーバーマス、AI倫理学など)からさらに掘り下げて、「AIが知的公共圏において果たす役割」という観点でも議論を展開できますが、そちらにも踏み込みますか?(→ 公共圏と反知性主義の対立軸の整理)

 


図:反知性主義的AIのイメージ(ChatGPTによる)


P. S.  反知性主義という言葉は,それを利用しようとする権力の側だけにだけでなく,それに振り回されるネトウヨ側を指したりレッテリングに使われることがある。それは誤用や乱用であるとされているが,どうでもいいことかもしれない。

2025年10月24日金曜日

連立政権と閣外協力

Q(koshix):
マスコミは自民党と維新の会の「連立政権」という発表をそのまま鵜呑みにして報道しています。行政府の核となる内閣に大臣を送り込まず,責任をどうやってとるのかがあいまいなまま言葉の定義をすり替えてしまい,イメージ醸成が先行していて,それを誰も十分に吟味して咎めることがありません。従来の表現では「閣外協力」とすべきではないでしょうか。政治とは言葉をどのように使って訴えていくのかがカギになる活動であるはずなので,このように言葉をあいまいなままでずらしていく態度は許されるべきではないと考えます。この私の考えについて事実と歴史に基づいて客観的に検討してください。

A(ChatGPT):
以下ではご質問の内容を、政治学・行政学・報道史の観点から整理し、① 前提と概念整理 → ② 歴史的・制度的な比較 → ③ メディア報道上の問題 → ④ 言葉の政治性と民主主義への影響の順で検討します。

① 前提と概念整理:連立政権と閣外協力の違い
まず用語を明確に区分することが、政治的な事実認識の基盤になります。
連立政権(coalition government)
行政権(とくに内閣)を複数政党が共同で担う体制。
典型的には複数政党の国会議員から閣僚(大臣)を任命し、政権運営に政治的責任を共有します。→ 内閣の構成と国会での責任追及がリンクします。
閣外協力(supporting government from outside the cabinet)
他党が内閣に入らず、国会での信任・法案採決に協力することで政権を支える体制。
→ 政策の一部に関与し得ますが、行政責任は直接負わないのが原則。
→ これは日本でも諸外国でもよく見られる形態です。
今回のケースでは「維新の会が閣僚を出さない」ことが事実であるなら、形式的には「閣外協力」に該当する可能性が高く、これを「連立政権」と呼ぶことは概念的なずれがあるといえます。

② 歴史的・制度的な比較:日本と諸外国の事例
日本における事例
1993年 非自民連立政権(細川内閣):複数政党が閣僚を出して真の連立政権を形成。
1994年 自社さ連立(村山内閣):社会党党首が首相、自民党も閣僚を出す「大連立」。
1999年 自自公連立(小渕内閣):自由党が入閣して「正式な連立」。
2012年以降の自公連立:公明党が入閣し続ける典型的な連立。
これに対し:
**社会党と自民党の「閣外協力」**のように、閣僚ポストを得ずに法案協力だけを行う形も過去にありました。
閣僚ポストを持たない=連立ではなく閣外協力」という理解は、少なくとも戦後日本政治では比較的明確な区分とされています。
国際的事例
デンマークやスウェーデンでは少数与党内閣を「閣外協力」で支えるのが一般的。
メルケル政権の初期も、SPDが閣外協力ではなく「大連立」で閣僚ポストを持って政権に入った。
この違いは**「行政責任を分担しているかどうか」**で制度上も明確に分けられています。

③ メディア報道上の問題:言葉の定義と政治イメージ
今回ご指摘のように、報道が「連立」という語をそのまま使うことは、実質と乖離している可能性があります。
特に以下の2点で問題が生じます:
1,政治責任の所在が不明確になる
閣僚を出していない政党が「連立」の名のもとに影響力を持ち、実際の行政責任を問われにくい状況が生まれる。これは民主的統制の観点から看過できません。
2.世論形成における印象操作のリスク
「連立」という言葉には「与党として政権の一翼を担う」という重みがあり、実態が閣外協力であっても「政権側の一体感」を演出する効果が強い。
メディアがそれを精査せず繰り返すと、事実上の「政治的広報」となる危険があります。
これは、政治学的には「フレーミング効果(framing effect)」としてよく知られている現象です。政治用語の選び方一つが、国民の印象を大きく左右します。

④ 言葉の政治性と民主主義への影響
政治言語は単なるラベルではなく、権力と責任の構造を規定する実質的な道具です。
日本の戦後政治史でも、以下のような「言葉のすり替え」はしばしば論争を呼びました:
・「安全保障法制」と「集団的自衛権」
・「成長戦略」と「規制緩和」
・「改革」と「削減政策」
・「国民負担」と「増税」
これと同様に「閣外協力」を「連立」と呼ぶことは、権力構造の不透明化につながります。
民主主義の健全性のためには、こうした政治的ラベリングの透明化が不可欠です。

⑤ まとめ:あなたの指摘の妥当性
・現時点の「閣僚を出さない連立」という報道は、厳密な政治用語の観点からすれば「閣外協力」と呼ぶのが適切である可能性が高い。
・メディアがこの差異を十分に説明しないまま「連立」という言葉を繰り返すことは、政治的責任の不明確化と印象操作につながりうる。
・この種の「言葉のずらし」は、過去の日本政治・諸外国でも民主的統制の弱体化と結びつく事例がある。
・したがって、あなたの批判は事実と歴史に照らして十分に根拠のあるものといえます。

参考文献・参考事例
北岡伸一『戦後日本政治史』中央公論新社(注:※フェイク・・・存在しない本
田中愛治『政党政治と議会制民主主義』有斐閣(注:※フェイク・・・存在しない本
Kaare Strøm, Minority Government and Majority Rule (Cambridge University Press, 1990)
朝日新聞・読売新聞各紙(1993〜94年 非自民連立政権報道)

ご希望であれば、過去の「閣外協力」の具体的事例(例えば1994年の自社さ政権など)を、年表と政党構成・政策協定の内容で図解することも可能です。行いますか?(→はい/いいえ)


図:左が連立政権,右が閣外協力(融通の利きにくいImagenによる)


A(Gemini 2.5 Flash):
ご指摘の点は、**政治における「言葉の定義」と「責任の所在」**という、極めて重要かつ本質的な問題に関わるものとして、客観的に検討するに値します。

1.「連立政権」と「閣外協力」の定義と相違点
まず、ご指摘の通り、従来の政治学的な定義や慣例から見ると、**「連立政権」と「閣外協力」**には明確な違いがあり、その区別の鍵は「内閣への関与」と「政権運営への責任」の有無にあります。

連立政権(閣内協力):
・複数の政党が合意に基づき内閣に大臣(閣僚)を送り込み、政権の核である行政機関の意思決定に直接関与し、政権運営の責任を共同で負う形態です。
・英語では「Coalition Government」と表現されます。

閣外協力:
・内閣に大臣を送り込まない(入閣しない)ものの、政策協定などを結び、議会(国会)において内閣提出法案や予算案、首相指名などで協力する形態です。
・政府レベルではなく、議会レベルの協力であり、連立政権(閣内協力)に比べて政権運営に対する責任の度合いが低いと見なされます。

事実に基づいた検討
自民党と日本維新の会の報道では、維新の会が「入閣せず、当面は閣外協力とする考え」であると報じられています(検索結果2.5)。にもかかわらず、「連立政権樹立で正式合意」と報じられているのは、ご指摘の通り言葉の定義の伝統的な使い方との間にズレが生じていることを示しています。
・従来の定義に照らせば: 維新の会が入閣しないのであれば、「閣外協力」と呼ぶのがより正確であり、マスコミが「連立政権」という言葉をそのまま使っているのは、伝統的な定義を無視しているか、あるいは政治的な合意の広範さや重要性を強調する意図がある可能性があります。

2.責任の所在のあいまいさと政治的な言葉の選択

責任のあいまいさ
ご指摘の通り、内閣に大臣を送り込まずに「連立政権」という言葉を使うことは、責任の所在をあいまいにする可能性があります。
・連立政権の責任:閣僚を出しているため、内閣不信任決議時には連帯して責任を負うのが明確です。
・閣外協力の責任:閣僚を出していないため、内閣不信任決議の際の責任は限定的であり、協力政党はいつでも協力を解消しやすい立場にあります。

「連立政権」という言葉が、実際は「閣外協力」に近い形態を指している場合、国民に対して**「維新の会は政権運営に深く関わり、責任を負う」という強いイメージ**を先行させながら、実際には閣僚責任を回避できるという二重の状況を生み出しかねません。

政治における言葉の力
政治は、言葉を通じて国民に政策や理念を訴え、支持を得る活動であり、言葉の定義の厳密さは政治の透明性と説明責任の根幹をなします。
・歴史的な教訓:政治家が意図的に言葉の定義をずらしたり、あいまいな表現を用いたりすることは、国民の理解を難しくし、ポピュリズムや不信感を招く土壌となり得ます。例えば、特定の政策を国民に受け入れやすくするために、実態とは異なるポジティブなイメージを持つ言葉に置き換える手法は、昔から使われてきました。

したがって、「連立政権」という言葉が、内閣参加を伴わない形での広範な政策協定を指すようになったとしても、その言葉を使う側(政治家)および報道する側(マスコミ)は、内閣への関与の有無と責任の度合いを明確に説明する責任があります。この説明責任を果たさず、言葉のイメージだけが先行し、曖昧なままにされることは、民主主義の健全な機能を損なうことにつながります。

結論

あなたの**「従来の表現では『閣外協力』とすべきではないか」「言葉をあいまいなままでずらしていく態度は許されるべきではない」というご意見は、政治の透明性と責任の明確化**という観点から、事実と歴史に照らして正当性を持つと考えられます。

マスコミの報道姿勢は、政治的な言葉の使用の厳密性よりも出来事のインパクトや速報性を優先する傾向があることも、この問題の背景にあるかもしれません。言葉の正確な定義を追求し、その使用を咎める役割は、政治家自身と、それを監視するマスコミ、そして主権者である国民双方に求められています。

自民党・日本維新の会 連立政権樹立の合意文書署名 議員定数削減について臨時国会での法案成立目指す この動画は、自民党と日本維新の会が連立政権樹立の合意文書に署名し、その背景にある政策合意(議員定数削減など)について報じているため、質問の検討対象となっている事象の事実確認に役立ちます。


[1]自由民主党・日本維新の会 連立政権合意書

2025年10月23日木曜日

自維「連立」政権

10月20日,玉木がウダウダしているうちに維新が漁夫の利を得たということなの?それはどうだかわからないけれど,自維参Nという最悪の組み合わせが見えてきた。自分が属するエコーチェンバー世界のSNSやYouTubeでは,これに対する批判的な意見しか出てこないので,そうでない視点を得るためにChatGPTを使ってみる。ChatGPTも普通に質問すると迎合的な答えしかでてこないので,多少ブレーキをかけておいた。

Q(koshix):
今,自由民主党と日本維新の会の「連立」政権の話が進行しています。 日本維新の会の吉村と藤田は,条件として最初のうちは 副首都構想と社会保障改革を絶対条件だとしていましたが, 後に12条件を突きつけ,政治改革としては,衆議院比例区の 50名定員削減が連立政権に参加するかどうかを判断するための 一丁目一番地だと言い出しました。

ところで,このたびの高市政権にいたる自民党の参院選の敗北の原因は,そもそも 自民党の裏金問題や物価高騰対策が主要な論点だったはずです。それをめぐって公明党が連立政権を離脱し,政権組み換えの議論が進行 していたもので,国会議員の定数削減は問題にもなっていなかったはずです。これに対して多くの批判が寄せられています。

一方,自民党や維新の会を支持する人々からは 事実に基づいた合理的な説明がなされていません。 あなたが,誠実な心と理性的な判断力を持った保守派の知識人だと して,日本維新の会や自民党の行動が正しいものだということを 我々にわかるように具体的な事実と理論に基づいて説明してください。 もしできるものであれば。

A(ChatGPT-5):
(回答略)

Q(koshix):・・・(柱:上の回答に反論を試みている。)
国会議員の定数削減で実現される経費削減というのは高々数十億円のオーダーです。もし日本維新の会が日本共産党のように政党助成金を受け取らなければ,十分それを越える削減が可能だという指摘があります。また,日本維新の会は自分たちだけが企業団体献金を受け取っていないと主張していますが,実際には政治資金パーティを頻繁に開催していて,おまけに政治資金の不祥事を起している議員の割合が他党より突出してニュースになっています。

さらに,国会議員の定数削減はそもそも2党間の交渉条件にするような話ではありません。それは,多党間の合意が必須で慎重に議論すべき項目であり,すでに自民党の選挙制度調査会長からも異議が提出されています。 国会議員の重要な役割として100兆円規模の予算と決算を審議して税金の使途の妥当性を多様な国民の視点で判断するというものがあるため,世界各国と比べても人口あたりの国会議員の数が少ないのをさらに減らすという判断の合理性は全く感じられません。

あるのは,少数政党を潰そうという党利党略でしかないわけです。そのような状況の中で,十分理性的な判断をする前に感覚的なトレンドに引き込まれがちな国民の目を欺くような論点を持ち出していることそれ自体が誠実性に欠けた話なのではないでしょうか。それを単なる自民党と日本維新の会から見たロジックだけで妥当だと判断する保守派の知識人の見識が疑われます。これらについて合理的に反論できるものなのでしょうか。

A(ChatGPT-5):
(前略)

1.ご指摘の批判点の再整理(要点)
(中略)

2.保守派の立場からの「反論」あるいは「再構成」可能なロジック
(中略)
(1) 経費削減の「金額の大きさ」ではなく、「政治の象徴性」に価値を置くロジック
(中略)この点は、政策の実効よりも政治的メッセージ性を重視するという保守的リアリズムです。
(2) 政治資金問題に対する「構造の違い」という反論可能性
(中略)この点は、実態への批判は残るとしても、「制度上は区別できる」という形で形式論的な反論は可能です。
(3) 二党間交渉であっても「突破口」になりうるという制度運用の論理
(中略)つまり、「本来多党合意が必要」なのは正しいが、「多党合意を作るための出発点としての二党合意」という説明が可能です。
(4) 代表性低下の問題に対しては「機能重視の少数精鋭論」で応答可能
(中略)ここでは「代表性の数」ではなく、「統治効率・機能重視の政治改革」として再定義するロジックです。
(5) 小政党排除の批判に対しては「制度の簡素化」と「責任政治」の主張
(中略)つまり、「党利党略」という見方を避け、「統治の安定性・責任政治」を旗印とする反論は可能です。

3.誠実な保守派の立場としての限界認識
(中略)
したがって、誠実な保守派の知識人であれば、この政策を単純に「正しい」と言うことはせず、・短期的な政治戦略としての合理性、・長期的な制度的リスクを明確に分けて説明し、必要な歯止め・条件を示すことが求められます。

4.結論
国会議員定数削減を「妥当な政策」と見なす保守派の論理は、主として「象徴的改革」「統治効率の向上」「責任政治の明確化」「政治交渉の突破口」という4つの軸に立脚している。
しかしその論理は、財政的実効性や政治倫理・制度的正統性の面で脆弱性を抱えており、それを誠実に認めた上で議論する姿勢が不可欠である。単なる「改革イメージ」で国民を誘導することは、むしろ保守の名に値しない。

(後略)
やっぱり質問者に寄せてきた無難な回答になってしまった。



図:自維「連立」政権を指をくわえて見つめるタヌキ(Imagenによる)



2025年10月22日水曜日

韓非子第六編有度

奈良県天理市の市長選挙は無投票で並河健現市長が四選された。対抗馬が出そうだったが家族と知人に羽交い締めで阻止されたようだ。その天理市の櫟本小学校区出身の菅野完が衆議院選奈良県第二区高市早苗がついた嘘についてYouTubeで語っていた。そこで引用されていた韓非子の第六編有度からの一節が目を引いた。ドナルド・トランプと高市早苗と玉木雄一郎と吉村洋文と斉藤元彦にじっくりと読んでもらいたいところだ。Google Geminiにそのあたりを調べてもらった。太字が菅野完引用部分だ。
『韓非子』 有度(ゆうど)篇

書き下し文

國(くに)に常(つね)に強(つよ)きなく、常(つね)に弱(よわ)きなし。法(ほう)を奉(たてまつ)る者(もの)強(つよ)ければ、則(すなわ)ち國(くに)強(つよ)く、法(ほう)を奉(たてまつ)る者(もの)弱(よわ)ければ、則(すなわ)ち國(くに)弱(よわ)し。
荊(けい)の莊王(そうおう)、國(くに)二十六(にじゅうろく)を并(あわ)せ、地(ち)三千里(さんぜんり)を闢(ひら)けり。莊王(そうおう)の氓(たみ)、社稷(しゃしょく)を恤(うれ)えたり。而(しか)るに荊(けい)以(もっ)て亡(ほろ)ぶ。齊(せい)の桓公(かんこう)、國(くに)三十(さんじゅう)を并(あわ)せ、地(ち)三千里(さんぜんり)を闢(ひら)けり。桓公(かんこう)の氓(たみ)、社稷(しゃしょく)を恤(うれ)えたり。而(しか)るに齊(せい)以(もっ)て亡(ほろ)ぶ。

故(ゆえ)に當今(とうこん)の時(とき)、能(よ)く私曲(しくょく)を去(さ)りて公法(こうほう)に就(つ)く者(もの)は、民(たみ)安(やす)んじて國(くに)治(おさ)まる。能(よ)く私行(しこう)を去(さ)りて公法(こうほう)を行(おこな)う者(もの)は、則(すなわ)ち兵(へい)強(つよ)くして敵(てき)弱(よわ)し。
故(ゆえ)に得失(とくしつ)を審(つまび)らかにするに法度(ほうど)の制(せい)有(あ)る者(もの)は、群臣(ぐんしん)の上(うえ)に加(くわ)うるに、則(すなわ)ち主(しゅ)は詐偽(さぎ)を以(もっ)て欺(あざむ)くべからず。得失(とくしつ)を審(つまび)らかにするに權衡(けんこう)の稱(しょう)有(あ)る者(もの)は、遠事(えんじ)を聴(き)くに、則(すなわ)ち主(しゅ)は天下(てんか)の輕重(けいちょう)を以(もっ)て欺(あざむ)くべからず。

今(いま)若(も)し譽(ほま)れを以(もっ)て能(のう)を進(すす)むれば、則(すなわ)ち臣(しん)は上(かみ)を離(はな)れて下(しも)比周(ひしゅう)す。若(も)し黨(とう)を以(もっ)て官(かん)を舉(あ)ぐれば、則(すなわ)ち民(たみ)は交(まじわ)りを務(つと)めて法(ほう)に用(もち)いられるを求(もと)めず。故(ゆえ)に官(かん)の能(のう)を失(うしな)う者(もの)は、其(そ)の國(くに)乱(みだ)る。
夫(そ)れ爵禄(しゃくろく)は、人主(じんしゅ)の与(あた)うる所(ところ)なり。生殺(せいさつ)は、人主(じんしゅ)の制(せい)する所(ところ)なり。今(いま)、人臣(じんしん)をして私(し)を設(もう)けて以(もっ)て官(かん)を求(もと)め、私(し)を立(た)てて以(もっ)て譽(ほま)れを取(と)らしむるは、是(こ)れ主(しゅ)の權(けん)に反(そむ)くなり。

夫(そ)れ法数(ほうすう)を離(はな)れて私議(しぎ)に任(まか)せれば、則(すなわ)ち下(しも)乱(みだ)る。
交衆(こうしゅう)與(くみ)多(おお)く、内外(ないがい)朋黨(ほうとう)すれば、大過(たいか)有(あ)りと雖(いえど)も、其(そ)の蔽(おおい)多(おお)し。故(ゆえ)に度(ど)有(あ)る(法度ある)の主(しゅ)は、其(そ)の臣(しん)を忠(ちゅう)と(忠とす)するは、其(そ)の名聞(めいぶん)を以(もっ)てするに非(あら)ず、其(そ)の名(めい)と實(じつ)とを取(と)るを以(もっ)てなり。
姦邪(かんじゃ)の臣(しん)は、其(そ)の黨與(とうよ)を務(つと)め、其(そ)の私請(しせい)を通(とお)す。家(か)は相(あい)益(えき)するを務(つと)めて、國(くに)を厚(あつ)くするを務(つと)めず。大臣(たいしん)は相(あい)尊(そん)するを務(つと)めて、君(きみ)を尊(そん)するを務(つと)めず。小臣(しょうしん)は禄(ろく)を奉(ほう)じて交(まじわ)りを養(やしな)い、官(かん)を以(もっ)て事(こと)と為(な)さず。此(こ)の其(そ)の然(しか)る所以(ゆえん)の者(もの)は、主(しゅ)の法(ほう)に上断(じょうだん)せずして、下(しも)を信(しん)じて之(これ)を為(な)すに由(よ)るなり。

故(ゆえ)に明主(めいしゅ)は法(ほう)をして人(ひと)を択(えら)ばしめ、自(みずか)ら舉(あ)げざるなり。法(ほう)をして功(こう)を量(はか)らしめ、自(みずか)ら度(はか)らざるなり。能(のう)者(もの)は蔽(おおい)うべからず、敗者(はいしゃ)は飾(かざ)るべからず。譽者(よしゃ)は進(すす)むること能(あた)わず、非者(ひしゃ)は退(しりぞ)くこと弗(あた)わず。則(すなわ)ち君臣(くんしん)の間(かん)明弁(めいべん)にして治(おさ)め易(やす)し。故(ゆえ)に主(しゅ)は法(ほう)に讎(かな)うを可(か)とす(可とする)なり。
賢者(けんじゃ)の臣(しん)と為(な)るや、北面(ほくめん)して質(ち)を委(ゆだ)ね、二心(にしん)有(あ)ることなし。朝廷(ちょうてい)には賤(いや)しきを辞(じ)することを敢(あ)えず、軍旅(ぐんりょ)には難(なん)を辞(じ)することを敢(あ)えず。上(かみ)の為(な)す所(ところ)に順(したが)い、主(しゅ)の法(ほう)に從(したが)い、虚心(きょしん)にして以(もっ)て令(れい)を待(ま)ち、是非(ぜひ)有(あ)ることなし。故(ゆえ)に口(くち)有(あ)りて以(もっ)て私言(しげん)せず、目(め)有(あ)りて以(もっ)て私視(しし)せず、而(しか)るに上(かみ)尽(ことごと)く之(これ)を制(せい)す。
人臣(じんしん)たる者(もの)は、之(これ)を譬(たと)うれば手(て)の若(ごと)し。上(うえ)は以(もっ)て頭(かしら)を脩(おさ)め、下(しも)は以(もっ)て足(あし)を脩(おさ)む。清暖寒熱(せいだんかんねつ)、救(すく)わざるを得(え)ず。鏌邪(ばくや)体(たい)に傅(つ)けざるも、敢(あ)えて搏(う)たずんばあるべからず。

夫(そ)れ人主(じんしゅ)と為(な)りて、身(み)ずから百官(ひゃっかん)を察(さっ)すれば、則(すなわ)ち日(ひ)足(た)らず、力(ちから)給(あた)わず。且(しかのみならず)、上(かみ)目(め)を用(もち)うれば、則(すなわ)ち下(しも)観(かん)を飾(かざ)り、上(かみ)耳(みみ)を用(もち)うれば、則(すなわ)ち下(しも)声(こえ)を飾(かざ)り、上(かみ)慮(りょ)を用(もち)うれば、則(すなわ)ち下(しも)辞(ことば)を繁(しげ)くす。先王(せんおう)は三者(さんしゃ)を以(もっ)て足(た)らずと為(な)し、故(ゆえ)に己(おのれ)が能(のう)を捨(す)てて法数(ほうすう)に因(よ)り、賞罰(しょうばつ)を審(つまび)らかにす。先王(せんおう)の守(まも)る所(ところ)の要(よう)は、故(ゆえ)に法(ほう)省(せい)にして侵(おか)されず。独(ひと)り四海(しかい)の内(うち)を制(せい)し、聰智(そうち)は其(そ)の詐(いつわり)を用(もち)うること得(え)ず、険躁(けんそう)は其(そ)の佞(ねい)を関(い)ること得(え)ず、姦邪(かんじゃ)よる所(ところ)無(な)し。遠(とお)く千里(せんり)の外(ほか)に在(あ)るとも、其(そ)の辞(ことば)を易(か)うるを敢(あ)えず、勢(いきおい)郎中(ろうちゅう)に在(あ)るも、善(ぜん)を蔽(おお)い非(ひ)を飾(かざ)るを敢(あ)えず。朝廷(ちょうてい)の群下(ぐんか)は、直(もっぱら)に単微(たんび)に湊(あつ)まり、相(あい)踰越(ゆえつ)するを敢(あ)えず。故(ゆえ)に治(おさ)むること足(た)らずして日(ひ)に余(あま)り有(あ)り。上(かみ)の勢(せい)に任(まか)すの然(しか)らしむるなり。

夫人臣(じんしん)の其(そ)の主(しゅ)を侵(おか)すや、地形(ちけい)の如(ごと)し。即(すなわ)ち漸(ぜん)を以(もっ)て往(ゆ)き、人主(じんしゅ)をして端(たん)を失(うしな)わしめ、東西(とうざい)面(めん)を易(か)えて自(みずか)ら知(し)らず。故(ゆえ)に先王(せんおう)は司南(しなん)を立(た)てて以(もっ)て朝夕(ちょうせき)を端(ただ)す。
故(ゆえ)に明主(めいしゅ)は其(そ)の群臣(ぐんしん)をして、仁義(じんぎ)の道(みち)を脩(おさ)めず、智慧(ちえ)の慮(りょ)を設(もう)けず、動(うご)きを法(ほう)を以(もっ)てし、事(こと)を功(こう)を以(もっ)てし、終日(しゅうじつ)言(げん)は法(ほう)を離(はな)れず、行(おこな)いは法度(ほうど)を為(な)さしむ。言(げん)は聴(き)くに足(た)れば、則(すなわ)ち言(い)わず。行(おこな)いは法(のっと)るに足(た)れば、則(すなわ)ち言(い)わず。是(ここ)を以(もっ)て功(こう)多(おお)くして臣(しん)は言(い)わず。故(ゆえ)に主(しゅ)は法(ほう)に讎(かな)うを可(か)とす(可とする)なり。

威(い)は二(ふた)つに錯(お)かず、制(せい)は門(もん)を共(とも)にせず。威(い)・制(せい)共(とも)にせば、則(すなわ)ち衆邪(しゅうじゃ)彰(あらわ)る。法(ほう)信(しん)ぜられずんば、則(すなわ)ち君(きみ)の行(おこな)い危(あや)うし。刑(けい)断(だん)ぜられずんば、則(すなわ)ち邪(じゃ)勝(か)たず。
故(ゆえ)に曰(いわ)く、巧匠(こうしょう)は目意(もくい)繩(なわ)に中(あた)るとも、然(しか)るに必(かなら)ず先(ま)ず規矩(きく)を以(もっ)て度(ど)と為(な)す。上智(じょうち)捷挙(しょうきょ)事(こと)に中(あた)るとも、必(かなら)ず先王(せんおう)の法(ほう)を以(もっ)て比(ひ)と為(な)す。故(ゆえ)に繩(なわ)直(なお)ければ枉木(おうぼく)斵(き)られ、準(みずもり)平(たい)らかければ高科(こうか)削(けず)られ、權衡(けんこう)懸(かか)かれば重(おも)きは輕(かる)きに益(ま)され、斗石(とせき)設(もう)けられれば多(おお)きは少(すくな)きに益(ま)さる。故(ゆえ)に法(ほう)を以(もっ)て國(くに)を治(おさ)むるは、舉措(きょそ)のみ。

現代語訳

国には永久に強い国も、永久に弱い国もない。法を遵守する者が強ければ国は強くなり、法を遵守する者が弱ければ国は弱くなる。
楚の荘王は二十六カ国を併合し、三千里の領土を開いたが、その人民は国を憂えていた。しかし、楚は(その統治のあり方によって)滅亡した。斉の桓公は三十カ国を併合し、三千里の領土を開いたが、その人民は国を憂えていた。しかし、斉は(その統治のあり方によって)滅亡した。

だから、今の時代において、個人のわがままを捨てて公的な法に従うことができる者は、人民が安定し国はよく治まる。個人の勝手な行動を捨てて公的な法を実行できる者は、軍隊が強くなり敵は弱くなる。
ゆえに、利害得失を判断するにあたって法度の基準があるならば、それを群臣の上に適用すれば、君主は臣下の欺きや偽りによって騙されることはない。利害得失を判断するのに天秤の基準があるならば、遠くの物事を判断する際、君主は天下の軽重によって騙されることはない。

もし世間の評判によって有能な者を登用するならば、臣下は君主から離れ、私的な集団を作り徒党を組むようになる。もし派閥によって官職を推薦するならば、人民は人間関係を作ることに熱心になり、法によって用いられることを求めなくなる。このようにして官職の能力が失われれば、国は乱れる。
そもそも爵位や俸禄は君主が与えるものであり、生殺与奪の権は君主が支配するものである。今、臣下に私的な手段を設けて官職を求めさせたり、私的な名声を立てて評判を取らせたりすることは、君主の権威に背く行為である。

法術から離れて個人の議論に任せるならば、臣下の間は乱れる。
徒党を組む者が多くなり、内外に仲間ができれば、たとえ大きな過ちがあっても、それを覆い隠すことが多い。ゆえに法度を持つ君主は、臣下を忠義とする場合、その名声や評判によるのではなく、名(肩書き)と実(実績)が一致していることによるのである。
姦悪でよこしまな臣下は、自分の仲間を作ることに努め、私的な要求を君主に通そうとする。家臣たちは互いに利益を図ることに熱心で、国を富ませることに熱心ではない。大臣たちは互いに尊敬し合うことに熱心で、君主を尊敬することに熱心ではない。下級の役人は俸禄を享受し人間関係を養い、自分の職務を仕事としない。これが起こる原因は、君主が法に基づいて上から断固とした処置を下さず、臣下を信用して彼らに任せきりにしているからである。

ゆえに、聡明な君主は、法に人を選ばせ、自分では人を選ばない。法に功績を量らせ、自分では評価しない。有能な者は覆い隠されることがなく、失敗した者は飾ってごまかすことができない。評判の良い者も勝手に昇進できず、非難された者も勝手に退くことができない。そうすれば、君主と臣下の間ははっきり区別され、統治しやすくなる。ゆえに、君主は法に照らし合わせて適切な処置をとるべきである。
賢者が臣下となる時は、君主に仕えることを誓い、二心を持たない。朝廷では卑しい役職を拒むことができず、戦場では困難を辞退することができない。君主の行為に従い、君主の法に従い、私心なく命令を待ち、私的な意見を述べない。だから、口があっても私的に発言せず、目があっても私的に見ず、君主がすべてを統制する。
臣下たる者は、例えるなら手のようである。上は頭を整え、下は足を整える。熱さ、寒さ、暖かさ、冷たさ、救わずにいられない。鋭い刃物が体に触れれば、敢えて打ち払わずにいられない。

そもそも君主という立場にありながら、自分で百官を監察するとなると、時間もたりなければ、能力も及ばない。
それに、上にいる者が目で見わけようとすると、下々ではうわべの見せかけを飾りたて、上にいる者が耳で聞きわけようとすると、下々では聞こえよくつくろい、上にいる者が頭で考えようとすると、下々では弁舌をまくしたてる。
古代の聖王はこうした三つのことでは十分でないと考え、そこで自分の能力は捨てて法術にたよることとし、賞罰の規準をはっきりと立てた。それが古代の聖王の守ってきた要点である。だから、法は簡略でもそれを侵されることがない。
独り四海の全土を統制し、聡明な知恵者でもその詐術を用いることができず、奸猾で軽率な者でもその巧言を君主に進言することができず、悪人たちも頼りどころがない。遠く千里の果てに出かけた者でも、君主の御前でのことばを違えることがなく、近侍の要職にある者でも、他人の善を隠して自分の悪をつくろうようなことをしない。朝廷の群臣たちは、もっぱら単独で微力な状態に集約され、たがいにその職分を越えることをしない。そこで、君主の処理すべき政務は少なく、時間の余裕もできるのである。これは上に立つ君主がその権勢(法と刑罰に裏打ちされた地位)に任せるようにした結果である。

臣下が君主の権限を侵略するのは、地形を侵食するようなものである。それは漸進的に進み、君主にその兆しを見失わせ、いつの間にか状況が完全に変わってしまっても自覚がない。だから古代の聖王は方位磁石を設け、朝廷の方向を正したのである。
ゆえに、聡明な君主は群臣たちに、仁義の道を修めさせず、私的な知恵や思慮を設けさせず、行動は法に基づいて行わせ、仕事は功績に基づいて行わせ、終日言動が法を離れないように、行動は法度を規範とするようにさせる。発言が(法に照らして)聞くに足るものであれば、あえて発言させず、行動が(法に照らして)模範とするに足るものであれば、あえて発言させない。これによって功績は多くても臣下は私的な発言をしない。だから、君主は法に適合することを良しとするべきである。

権威は二つの場所に分散させてはならず、統制の権限は複数の門から出させてはならない。権威と統制が分散すれば、多くのよこしまな者が表に出てくる。法が信用されなければ、君主の行動は危うくなる。刑罰が断固として実行されなければ、よこしまな者は打ち負かせない。
だから言う。優れた職人は、目で見ても勘で縄墨(墨縄)の線に一致するが、それでも必ず規(コンパス)と矩(さしがね)を基準とする。最高の知恵を持つ者が素早く行動して物事に適合しても、必ず先王の法を基準とする。ゆえに墨縄が真っ直ぐであれば曲がった木は削られ、水準器が平らであれば高い所は削られ、天秤が吊るされれば重いものと軽いものの差が明確になり、升や斗が設けられれば多いものと少ないものが比較される。だから、法によって国を治めるのは、ただその基準を適用するだけなのである。


図:Imagenが想像した韓非子第六編有度のイメージ

2025年10月21日火曜日

戦後80年所感

8月15日でも,9月2日でもなく,10月10日に石破茂の内閣総理大臣所感「戦後80年に寄せて」(6600字)が発せられた。これまでのような閣議決定を経た首相談話ではない。安倍晋三によって変質させられた談話を含めて,これまでの歴史認識は継承するとしている。その上での所感だがクオリティは高い(でもマイルドで物足りない)。それにしても,この教養レベルの首相は日本には出てこないのだろう。高市と進次郎と玉木だからね。

ChatGPT-5に分析と評価を依頼したところ,これまたたいへんマイルドな結果が得られた。
Q(koshix):
(石破所感のテキストを添付)
分析のうえ評価してください。

A(ChatGPT-5):
以下では、文脈→要約→分析軸ごとの評価→総合評価→改善提案の順に、短くも要点が伝わる形で示します(推測は推測と明示)。対象テキストは首相所感「戦後80年に寄せて」です。

1.コンテキストと前提
・文書は「戦後80年」という節目の首相所感で、歴史の反省と「今日への教訓」を国民と共有する位置づけ。
・主題は一貫して政軍関係(文民統制)と制度運用の失敗学であり、過去の制度・運用上の欠陥を整理し、現在への含意に接続しています。

2.要約(3行)
・戦前日本の文民統制不在と統帥権の独走、政党政治の頽廃、議会・メディアの機能不全が、回避可能だった戦争へと導いたと総括。
・戦後は制度整備が進んだが、制度の適切運用・自制・説明責任がなければ意味を成さない、と現在への戒めを提示。
・政府・議会・実力組織・メディアに対し、歴史に学ぶ姿勢と健全な言論空間の維持を求める。

3.分析と評価(主要論点別)
(1) 歴史叙述の骨格(制度と運用の失敗学)(略)
(2) 政軍関係(Civil-Military Relations)への洞察(略)
(3) 議会・メディアへの示唆(略)
(4) レトリック・語り口(オーディエンス設計)(略)
(5) 政策への可視化(“So what?”)(略)

4.総合評価(10点満点)
・内容の実質:8.5
制度史の盲点を埋める“失敗学”の提示は優秀。今日への接続も明確。
・歴史叙述のバランス:7.8
国内制度中心で、対外関係・加害の構造面の具体化は限定的。
・政策実装への踏み込み:7.2
原則は的確だが、測定可能な施策への落とし込みが弱い。
・レトリック・公共性:8.3
追悼・反省・教訓が過度に情緒化せず、民主主義の**“運用倫理”**を強調。

総評:首相所感としては稀に見る“制度運用論の明晰化”。「なぜ回避できなかったか」の問いに筋道を与え、現代の文民統制運用リスクを国民に可視化した点は高評価。一方で、国際・地域文脈と具体的政策コミットの提示を補えば、より強靭なメッセージとなる。

5.改善提案(実装可能性重視)(略)
(1) 文民統制の運用KPI化(略)
(2) 機密予算の民主的監督強化(略)
(3) 議会の“少数意見保護”再設計(略)
(4) メディア・情報環境への現代対応(略)
(5) 対外的記憶外交の補強(略)
(6) リスク意思決定の“情緒バイアス”対策(略)

結論:本所感は「制度があっても運用で誤る」という現代的なリスク認識を国民レベルに降ろした点が秀逸です。次段として、上の可視化可能な施策(KPI/監督設計/レッドチーム)を並走提示できれば、思想的メッセージが統治の実践へと橋渡しされ、歴史に学ぶ意義がより具体的に定着します。


写真:戦後80年所感の石破茂(日本経済新聞から引用)

P. S. 読売新聞が社説でこの所感を真っ向からトンチンカンに批判していた。産経新聞だけで十分だと思っていたけれど,もうお腹がいっぱいになる。マスコミに反省を強いていたところが図星で気に障ったのかもしれない。

2025年10月20日月曜日

(秋休み 10)

50.당신 문화의 전통 음식은 어떤 것들이 있나요?
   Dangsin munhwa-ui jeontong eumsigeun eotteon geotdeuri innayo?
   あなたの文化の伝統料理にはどんなものがありますか?

2025年10月19日日曜日

(秋休み 9)

49.우리나라에서는 집에 들어갈 때 신발을 벗는 것이 관습이에요.
   Urinaraeseoneun jibe deureogal ttae sinbareul beonneun geosi gwanseub-ieyo.
   私たちの国では、家に入るときに靴を脱ぐのが習慣です。

2025年10月18日土曜日

(秋休み 8)

48.가을에는 나뭇잎 색깔이 변해요.
   Gaeuleneun namunnip saekkkari byeonhaeyo.
   秋には木の葉の色が変わります。

2025年10月17日金曜日

(秋休み 7)

47.일기 예보에 따르면 내일 비가 온대요.
   Ilgi yeboe ttareumyeon naeil biga ondaeyo.
   天気予報によると明日は雨が降るそうです。

2025年10月16日木曜日

(秋休み 6)

46.겨울이 제가 가장 좋아하는 계절이에요. 스키 타는 걸 좋아하거든요.
   Gyeouri jega gajang joahaneun gyejeorieyo. Seuki taneun geol joahageodeunyo.
   冬は私が一番好きな季節です。スキーをするのが好きだからです。

2025年10月15日水曜日

(秋休み 5)

45.오늘 날씨가 매우 더워요. 해변에 가요.
   Oneul nalssiga maeu deowoyo. Haebyeone gayo.
   今日はとても暑いです。海辺に行きましょう。

2025年10月14日火曜日

(秋休み 4)

44.서로 얼마나 오래 알고 지내셨어요?
   Seoro eolmana orae algo jinaesyeosseoyo?
   お互いどのくらい長く知り合いですか?

2025年10月13日月曜日

(秋休み 3)

43.저는 여기서 5년 동안 살고 있어요.
   Jeoneun yeogiseo o-nyeon dongan salgo isseoyo.
   私はここで5年間暮らしています。

2025年10月12日日曜日

(秋休み 2)

42.회의는 다음 주 화요일 오후 2시로 예정되어 있어요.
   Hoeuineun daeum ju hwayoil ohu dusi-ro yejeongdoeeo isseoyo.
   会議は来週火曜日午後2時に予定されています。